親 愛 な る 君 に 告 ぐ 、

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信親が初めてその青年に会ったのは、元服を済ませたばかりの頃。
同盟国の視察と言う名目の父の逢瀬に付き合わされた時のことだった。
安芸を治める領主、毛利元就の隣に控えていた彼は聞いていた齢よりも大人びた雰囲気を纏い、元就とは正反対の柔和で穏やかな笑みを崩すことなくその口元に刻んでいた。
四国の城とは違う厳かで張り詰めた静寂に満ちた冷たい板の間で見る笑顔は妙に作り物じみている、そう信親は思った。


「嫡子の信親だ。この間元服を済ませてよ。これから何かと世話になるだろうから顔見せも兼ねて連れてきた。」
「お初にお目にかかります。長曾我部信親と申します。本日は元就公に拝顔を賜り恐悦至極に存じまする。」
「これが其方の寵愛する嫡子か。其方よりは出来が良いようだな長曾我部。」


深々と頭を垂れた信親を硝子玉のような色素の薄い瞳で一瞥した元就はふん、と小さく鼻を鳴らした。
元就が傍らに控える隆元に視線を投げると、隆元が結った長い髪をさらりと流しながら頭を垂れる。
父親譲りの栗色の直毛の先が僅か床に触れて広がるのが美しいと半ば無意識で考えつつ、綺麗に伸びた背筋が顔を上げるのを眺めた。
髪と同じ栗色の猫目がゆうるりと細められて信親を見る。
手弱女のような物腰が荒くれた海に生きる男に囲まれて育った信親には珍しく、不慣れなそれに困惑したまま視線を伏せた。
凛と響く元就の声とは似ない温厚さが滲む幼く高い声が空気を震わせる。



「毛利元就が長男、毛利隆元と申します。」


話す声音や口調もまた流れる水のような自然さを持って耳に馴染む、そんな柔らかなものだった。
信親は漠然と凪いだ水面を想った。





一通り挨拶の口上を述べてしまえばまだ幼い信親にとっては退屈な時間が続く。
目の前に座す二人を失礼にならない程度に眺め観察する。
元就は当然その視線に気付くが、子供の暇つぶしに目くじらを立て叱りつけるのも面倒臭いと元親の話に集中した。
父である元就は信親が元親から聞いていた印象とは随分と違う。
始めて会った信親に対しても、盟国の国主たる元親にも全くと言っていいほど興味を向けない元就は愛されて育った記憶しかない信親にとっては空恐ろしく、元就の傍らで笑みを崩さない隆元もまたそうであった。
信親の退屈した気配を感じ取ったらしい元親がここから先は大人同士の込み入った話になるから子供は遊んで来いと信親と隆元に言う。
元就も小さく頷き、客人をもてなすようにと隆元の背中に重々申し付けた。
それに畏まりましたと応えた隆元が室の襖を閉め、先に立って歩き始める。
よく手入れされた栃栗毛の尾のような長い髪が揺れて一時も緩むことのない笑みをたたえた端正な顔が信親を振り返る。



「庭でも眺めながらお茶でも飲みましょうか。」


茶菓子は何が良いでしょうと問う声には年若い信親を思い遣る響きがあった。
俺は何でも構いません、と答えながら信親は自分に兄がいればこうだったのかもしれないとふと思う。
客間の縁側に並んで座り、侍女が茶を運んでくるのを待つ間、信親はこのとらえどころのない毛利隆元と言う男について考える。
己より二、三年上のこの毛利の次期当主は、温和な笑顔の裏にどんな顔を持つのだろうか。
まさか詭計に秀でた智将と名高い毛利元就が嫡子である彼の素顔はこんなものではないだろうと予想する。



「元親公は信親殿のことを大変可愛がっておられるのですね。」
「え?」


運ばれて来た茶を啜りながら庭を眺める隆元が呟いた言葉の意味が良くわからずに信親はその人形のように整った横顔を見詰めた。
上を向いた長い睫毛が伏せられたせいで頬に落ちる影の色は暗い。
穏やかな口元に張り付いて剥がれない微笑がその影をいっそう暗いものに見せる。
穏やかすぎる秋の風がそよそよと信親と隆元の細い髪を揺らす。


「なんだか少し羨ましいです。」
「それは元就公とて同じでしょう。」
「父上は、凡庸な私に期待や愛情など持ってはおりませんよ。」


ぽつりと零されたその言葉が本心であるのかを計りかねた信親は、しかしそれが嘘であるとも言い切れずにただ言葉をなくして動きを止めた。
もし自分が、隆元と同じか、あるいはそれよりも年を重ねていれば少しは気の利いた言葉を紡ぐことが出来たろうか。
その答えが否であることくらい幼くとも聡明な信親には解った。
将来、一国一城を担う者としての重圧や周囲の期待。それは知勇兼備の名将となるだろうと周囲の期待を一身に背負う信親も良く知っている。
しかし隆元はそれに加えて父が名将として名高い。
毛利の家を、安芸の国を、そして父・元就の名誉までをも背負う運命の元に生まれた隆元にのしかかる重圧は計り知れない。
まして血も涙もなく、兵卒を駒と扱うというあの元就である。己の子である隆元も同様に扱っていたとてなんら違和感はない。
それを一瞬にして悟った聡い信親は一口齧った饅頭をじ、と見詰めた。


「あ、すみません…ご気分を害してしまうようなことを言ってしまって…」
「いえ、そう言うわけでは…」


沈鬱で無意義な沈黙が明るい縁側に落ちる。
言葉なく俯く二人の胸にはただ一国の主となる己の命運を正面から見据えることの出来ぬ拙い幼さだけがわだかまり、暗い影を落とす。
同盟する国の主となる。
今日の対面が今まであいまいでどこか遠い夢物語であった未来を、急に輪郭を持った現実として色鮮やかに染め上げてゆく。
その残酷なまでに艶やかな現実を直視するには些か時期尚早な二人が、初めて強烈な原色の醜さを垣間見た日であった。


麗らかな午後の日差しが二人の影の色を濃くして、落ちる。



End

現実と責任の重圧、いずれ失われる暖かな庇護。


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