書簡に目を通す隆元から少し離れた室と縁側の境に近いところで、信親は庭の楓を濡らす雨を眺めていた。
赤く色付きはじめたその葉をしたたかに打つ雨の色が艶やかに信親の目を刺す。
遠く、雷が鳴いた。
「やみそうに、ありませんね…」
書簡は手にしたまま、信親の視線に己のそれを寄り添わせた隆元が言った。
昨夜から降り続いてなおその強さを失うことのない雨に呆れているような声で。
えぇ、といらえを返した信親は荒れる瀬戸内に繋いだ船を思った。
今頃荒れ狂う波に揉まれているのだろう。
いっそその波間に沈んでしまえば楽になれようものを、とでもいうような様で。
視線を隆元へ移す。
胡座に片膝を立てた信親とは対照的に、文机の前で几帳面なほどにきっちりと膝を揃えて座るその姿は、湿度に暗く煙る空気の中にあってなお凛と張り詰める。
触れれば脆く壊れる玻璃のようなそれは、柔らかく穏やかな隆元を護るように張り巡らされた鉄線の蜘蛛の糸さながらに。
これが、毛利の血が与えた高潔でいて残酷な絶対領域かと思わせるそれは信親を不安にする。
「この分じゃもう暫くお世話になるしかなさそうですが…。」
不安を押し込めた苦笑で告げれば、隆元はくすりと切れ長の目尻を下げた。
手にしていた書簡を畳み、立ち上がる。
流れるような仕種が儚げに消えてしまいそうだと信親は伸ばしかけた指を拳に抑え、隆元を見上げる。
揺れる瞳を認めた隆元のあかい唇が笑みをかたどった。
「私がそれを拒めるとお想いですか?」
それを知りながら言葉にした己の意地の悪さに信親は俯く。
さらと高貴な衣擦れの音を立てて隆元が座した。
その膝の上に無造作に重なった細い指が灰色の中には些か眩しい。
いつもは取り繕える醜悪な感情が土砂降りに増した水流のように胃の辺りを渦巻く。
知ってか知らずか、胡座の上に投げ出した信親の手を隆元の冷たい手が取る。
雨音がうるさく、呼気に淀んだ空気が重たく鎮座する。
「嵐になること、知ってたんですけどね。」
「え?そんなこと、わかるんですか?」
この安芸の地からほとんど出ることのない隆元は賞賛と驚愕を孕んだ視線で信親を見上げた。
信親は飽きもせず降り続く雨に視線を向け、何となくですけどねと苦笑した。
嵐が近づくと押し込めた独占欲が醜悪な疼きとなって信親の躯を蝕む。
湿気た風が疼きを増幅し、いっそ不快な程滑らかに首筋を撫でて行く感触。
まるで信親の腹の奥底に眠る昏い闇を誘い出そうとするかのような、それ。
欲するのは近いようで遠い、高潔な渇いた白の指先。
信親の手の甲を揶揄うように撫でる指先はやはり渇いていた。
「隆元殿。」
「はい。」
「今暫く、抱きしめさせてもらえないでしょう、…か」
信親が言い終わるより先に、甘い香の薫りが強くなる。
欲に疲弊した信親の頬を冷たい結い髪が撫で、ああ抱かれているのだと信親は安堵に目蓋を下ろした。
信親より低い体温は湿度に更に下がり、冷たいほどである。
死人のように冷たく細い背中に縋り付いた信親は隆元の長い結い髪に移った甘い雨の匂いを肺一杯に吸い込む。
隆元の渇いた指先が白刃の鋭さで髪を撫でる度に全てが昇華してゆく感覚に、信親は目を閉じた。
End
いっそ攫ってくれたらいいのに。