- 週末までのプレゼン資料を慌ただしく作る幸村のデスクの右側に置かれている電話がけたたましく鳴る。
昼間ならば誰かが出ただろうが、あいにく終業時間もとっくに過ぎた22時すぎである。
この部署に残っているのは残念ながら幸村だけ。パソコンの画面に開いていたパワーポイントから数時間ぶりに視線を剥がした幸村は受話器を取った。
「はい、営業部。」
『企画部の伊達だ』
「ああ、伊達殿。いかがされた?」
『真田か?プレゼンの資料に追加しといてほしいのが出てきたんだが』
週末のプレゼンは幸村が所属する営業部と、政宗が所属する企画部が合同で行う上杉建設への入札のプレゼンだ。
両部署のこの入札の責任者である二人は、今までにも何度か大きな入札を勝ち取っている。
政宗のそつのない企画を、営業部きってのやり手である幸村が売り込むのが勝利の定石である。
社内メールで資料を送るから目を通しておいてくれと言われ、幸村はメーラーを立ち上げた。
添付の資料と、決まり文句のように並んだビジネス文書。
その下の署名は確かに政宗の物だ。
「了承した。明日にはプレゼン用のパワーポイントを終わらせるゆえ、ご確認をお願いしたい」
『オーケー。ところで幸村。』
唐突に名前で呼ばれ、マウスを握っていた幸村の指先が跳ねる。
社内にこの情報を知る者は少ないが、政宗と幸村は”恋人”という関係でもある。
(知っているのは営業部の猿飛と企画部の長曾我部くらいなものである。)
今まで成功した入札の数々をこなすうちに、何となくそんな流れになってしまったのだ。
普段、社内ではお互いに名字で呼び合うのは、男同士だけに限らず社内恋愛の経験があるものにはよくあることである。
しかし、終業時間も過ぎた企画部には政宗(と、いても長曾我部)しかいないのであろう。
軽快にキーボードを打つ音とともに幸村の名が紡がれる。
『だ、伊達殿!社内では真田と…』
「ah…?もう終業時間も過ぎてんだ、好きにさせろよ。」
不測の事態に手の止まった幸村が受話器に向かって叫ぶが、政宗はそれを遮って涼しい声で会話を続けた。
『何時頃帰るんだ?』
「政宗殿からいただいた資料を入れればそれで…」
『1時間ぐらいか。』
「そうですな」
『じゃ、営業部までいくから』
一緒に帰ろうぜ、と政宗が告げる。
戸惑う幸村の指先が意味もなくマウスのホイールを弄ぶ。
『聞いてんのか?』
「し、しかし政宗殿こそ残業なのでは?」
『ah?俺が残業なんてするとでも思ってたか?』
ふふん、と電話口で得意げに笑う政宗の細められた隻眼が見えるような気がした幸村は、ならばなぜ、と言葉を継いだ。
『営業部の女の子がたまたま話してるの聞いたからな。真田さんって真面目なとこがかっこいいよねー、だとよ。』
モテるんだなと嘲るような色を微かに滲ませていう政宗に、そんなことはござらんと反論する幸村の必死を嗅ぎ取った政宗がわかってる、と笑った。
『アンタには俺しかいねぇこともな』
「まさむねどのっ!!」
『本当のことだろう?』
社内の内線で歯の浮くようなセリフを恥ずかしげもなくさらりと言ってしまう政宗に言い返す言葉など持たない幸村は赤面した頬を隠すように俯いた。
「と、とにかく!早めに終わらせるゆえ、暫く待っていてくだされ」
『そうだな。これじゃあいつまでたっても帰れそうにねぇ』
では、と耳から遠ざけた受話器から聞こえた言葉に、内線の切れた受話器を投げるように置いた幸村はとうとうデスクに突っ伏した。
『待たせたお詫びはアンタからのキスで許してやる。』
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