- なあ、と長曾我部が言った。
カーテンを閉め切ったくらい室内には、真田の小さないびきと時計の秒針の音が聞こえるばかりだ。
今日の訓練でもひと一倍張り切っていた真田はよほど疲れているのだろう。片倉や長曾我部が布団にはいる前から、既に眠たそうにしきりと目をこすっていた。
「なんだ。」
片倉は閉じていた目蓋を押し上げ静かに応えると、暗闇に目を凝らす。さりとて長曾我部がいるはずのベッドに視線は向けない。
人目を忍ぶ話である。どの道顔を付き合わせて話す必要のある話ではない。恐らくではあるが、同じ内容の話をした時も同じ方向を向いたまま話していた。
「軍には、俺から連絡をとってやる。」
「は?」
片倉は素っ頓狂な声を上げた。あの日から数日、片倉は視察という名目で外部からどうにか軍に連絡する術を模索していた。
しかし、そんな隙はおろか、あちらさんを騙す適当な嘘さえ思い浮かばなかったというのに、ここから一歩も出ず、それどころか訓練にもあまり顔を出さなかった長曾我部に一体何ができるのか。
一瞬混乱した思考を深呼吸で落ち着けた片倉は、あの准将か、と思い至る。声に出して問えば、長曾我部はちげぇよ、と苦笑したようだった。
相変わらず視界には濃い闇しか映らない。
「どうするつもりだ?」
再び間の抜けた声を上げた片倉は、長曾我部の話の展開についていけずに、とうとうベッドの上に半身を起こして長曾我部が眠るベッドを振り返った。
「自宅経由なら空軍には間違いなく連絡が取れる。うまく行けば海軍にもな。」
「テメェの家は通信部か何かかよ…」
あまりにも突飛な発言に、気の抜けたような声をあげ、バサリとベッドに逆戻りする。
しかし、長曾我部の声はどこまでも冷静で、いつものおおらかさのようなものは感じられない。むしろ、張り詰めた鋭ささえたたえているように片倉の耳に届いた。
それは、戦場で聞く長曾我部の声に似ている。いつもの長曾我部からは連想することのできないような冷たさと鋭さをたたえたその声は薄氷の湖のような色のない厳かさを孕む。
「…オヤジが空軍の偉いさんでよ。空軍経由か、タイミングが良ければ海軍にいる弟から直通だ。実家経由なら通話履歴調べられても困りやしねえだろ。」
「なんでそれをもっと早くいわねぇんだ…」
悪かったな、とぶっきらぼうに応えた長曾我部の声に潜む闇に気付いた片倉はそれ以上追求することはやめた。誰にでも踏み込まれたくない部分はあるものだ。その大きさは人によってまちまちだが。
思えば、長曾我部という男は士官学校時代から不思議な男だった、と片倉は思った。
片倉の士官学校時代というのはすなわち、長曾我部の士官学校時代でもある。年齢は違えど二人は同期なのだ。
同じように入学し、卒業した。在学中も気の合う同級生として、寮の部屋は違えど寝食を共にし、勉学に励んだ。卒業後暫くは顔を合わせることもあまりなかったが、少佐になったあたりから何度か同じ職務に携わることもあり、今は随分とお互いのことをわかり切ってしまっている感がある。さりとてそれを不快に思わせないのが長曾我部元親という男の不思議なところだった。
屈託のない笑顔で豪快に笑うこの男は、人の気持ちを掴むことに長けているのだ。翳りのないあの笑顔が警戒心というものを取っ払ってしまうのかもしれない。
元来面倒見のいい男であるから、部下や同僚にもよく慕われている。上官にも気に入られているし、人間関係における器用さでいえば同期の中でも一番秀でていたようにさえ思う。
しかし、片倉は知っていた。
長曾我部は人の内面には簡単に触れるくせに、自分の内面には誰も深く立ち入らせないことを。悪目立ちする隻眼の理由も、彼の出自のひとかけらさえも片倉は知らない。
それに気付いてはいるが、暴露するのは趣味ではない。誰にでも触れられたくないことのひとつやふたつあるものだ。
よく考えればもう随分と長い付き合いになるというのに、長曾我部のことはあの人間性以外何も知らないのだということに気がついたのはつい最近のことだ。それもまた長曾我部という男の豪胆でおおざっぱな部分によって巧みに隠されている何かではないだろうか。
全寮制の士官学校で時折訪れる長期の休暇には実家に帰っていたようだったから、家族はいるのだろう。しかし、その家族の話を一度も聞いたことがない。
(自分とて聞かれなければ答えることもなかったので、それだけの理由かもしれない。)
片倉よりも長曾我部とよくつるんでいた連中も、そのことについてはなにも語らなかった。口止めをされているのか、それとも何も知らないのか。それは片倉の知るところではない。
しかし、そのことを悟らせない穏やかさと強引さを兼ね備えた性質や、所作の端々に現れる洗練されたような立ち振る舞いから、決して卑しい家の生まれではないことだけは見て取れた。
父親が軍部の高官であり、更に兄弟もが軍に籍を置いているということは、軍人の一族なのだろう。制約されることを嫌うような性格でありながら軍籍に身を置いている理由もそれではっきりした。一族の男がことごとく軍人であった長曾我部家で男として生まれるということはつまり、従軍しなくてはならないということなのだろう。
(ここまで考えた片倉はしかし、その正誤を長曾我部本人に確認するという愚行は犯さなかった。)
一方の長曾我部はぎしりとベッドを軋ませて身じろいだ。暗闇の向こうで黙した片倉が、何もかもを見透かしているような気がしたのだ。日常の自分と、職務に向き合う自分の二面性や、家族を巻き込むのを酷く恐れている臆病や、現状を打破することに戸惑いさえ覚えるほどの毛利への執着を。
生々しい命の駆け引きやぬるま湯のような死への恐怖をを共にした戦友は全て見透かしていて、自分がこう言い始めるのを待っていたのではないだろうか。ありもしない想像を目前の暗闇に塗りつぶすように目を閉じた。
片倉が大きく息を吸い込む音が聞こえ、続けて長曾我部の緊張感を全て台無しにするような気の抜けた声がいらえを寄越した。
「ま、お前の勝算にかけてみるしかねえな。使えるものはなんでも使わせてもらうとするか。」
「…ああ。」
室内の空気がふと軽くなる。右側だけの狭い視界を目蓋で暗闇に塗りつぶしていた長曾我部は薄く目を開いた。片倉の不干渉は裡に絶対的な弱さを飼う長曾我部にはありがたいものだった。
しかし、と片倉の声が堅くなる。
「見張りはどうする?」
「どうすっかなぁ…二人で出掛けて途中で別れる、ってのはどうかと思うんだが。」
「とりあえずそれでいくか。」
「だな。明日の夕方空けとけよ。」
「することもねぇんだ。空けるまでもねえよ。」
そうだな、と応えた長曾我部はベッドを軋ませて仰向けていた体を横に向け、目を閉じた。闇の中でそれを感じ取った片倉も眼を閉じる。
演習での疲れのせいか、意識が曖昧になってきたところで再び長曾我部の声がした。
「真田には、知らせないつもりか?」
「俺たちでどうにかできるうちは話さなくていいだろう。疲れもあるだろうしな。」
「ま、そうだな。真田は俺たちほど隠し事がうまくねぇ。」
そこがいいとこだけどよ、と喉を鳴らして笑った長曾我部に、俺はもう寝るぞと宣言した片倉は次こそ睡魔の手に落ちた。
静寂が落ちた室内で、長曾我部は毛利の怜悧な横顔を想った。毎日のように部屋を訪れていたせいか、その横顔は思ったより簡単に目蓋の裏に描くことができた。本部と連絡が取れたとして、この後の展開は長曾我部には予測できない。自分たち派遣兵が先陣を切っての二国間戦争の開戦ということも考えられる。
軍部としてはその方が都合がいいはずだ。現状、同盟とは言ってもただの従属関係でしかないこの枷を外すには友好を装った奇襲を仕掛ける以外にこの関係を打破する方法はないのだ。
軍事演習で見た圧倒的な攻撃精度と、よく調教された兵卒たち。攻撃精度に関しては帝国軍も負けてはいないと思えたが、絶対的な恐怖の元に敷かれた軍体制は、死をも厭わない自爆テロのテロリスト集団だ。そんな連中を相手に正攻法では勝てる気がしない。
これが暫くの滞在で長曾我部が感じた結論だった。いざとなれば腹に爆弾の腹巻きでも巻いて突入してくるに違いない。
(そんな頭の狂った作戦を指示しかねない連中がここにはゴロゴロいるのだ。)
(あの伊達とか言う少将に至っては薄ら笑いでも浮かべながら自爆する部下を眺めているのではないだろうかと思うのだから相当だ。)
そもそも、この二国間の関係を机上の議論による調整だけでどうにかできていれば、自分たちはここに来る必要もなかったはずである。そのことを思えば、いずれ先鋒としての奇襲の命が下るであろうことは想像に難くない。むしろ帰還命令よりもその命令の方が確立としては高い。
そうなったとき、自分は軍人として誇り高く戦うことができるか?自分が死ぬことは怖くない。部下を殺さずに国元へ返してやれるならそれでも構わない。ここで起こるであろう戦火が自国で帰りを待つ母にまで届かなければそれでいい。
しかし、自分は毛利と戦うことができるのか?容赦なく切っ先を向け、透徹した薄氷の裡を抉ることができるのか?
長曾我部は情けなく背を震わせた。できようはずもない。
守ってやりたいと思ったそれを、自ら葬り去ることなど長曾我部にできるはずがないのだ。
唾を飲み込む音が頭蓋を大きく震わせた。
寝返りを打った長曾我部の視界にあどけなく眠る真田の寝顔が映る。自分ひとりの都合で、ここにいる真田や片倉を始め、部下たちをも巻き込むわけにはいかない。
全ては明日、連絡を取ることから始まるのだ。始まってみなくては正確な判断もできないだろう。
あの准将に構うのは暫くやめよう。これ以上自ら泥沼にはまっていく必要はないのだ。
そして、それが毛利のためでもあるのかもしれない。
無理矢理自分を納得させた長曾我部は眠れぬ夜に目蓋を閉じた。
End
どれが正解かを今判断することは愚行だ、と
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