- この街の変化はめまぐるしいと思う。
先月までそこにあった店が、いつのまにか違う店になっていたり、つい昨日までここでキャッチをしていた男がぱったり姿を見せなくなったりする。
この街に根を張ることが難しいのか、そもそも根無し草ばかりが集まる街なのかはわからないが、この街で1年近く過ごしている自分はきっと特異な方になるのだろうなと思う。
それでも、この街には片時も離れたくない男がいて、食うに困らないどころではない金がある。
言葉は古いが、『アメリカンドリーム』のようなものだな、と考えながら佐助はコンビニの前に置いてある灰皿に短くなった煙草を捨てた。
後ろからは相変わらずセンスのない格好をした男が着いてきている。
こういう 男たちが平気で蔓延っていることも、この街に人が長期間居着かない理由のひとつかもしれない。
佐助だって小十郎がヤクザにコネクションを持っていなければ、そのうち逃げ出したかもしれない。それはそれで喜べることではないのだが。
ふう、と小さくため息を吐いて裏口の扉を押し開ける。
手を離した扉は思ったよりも大きな音を立てて閉まった。
営業中にかかっている音楽がないのだから、それもそのはずである。
落ち着かない指先がポケットの中の煙草を探し、その中身を引っ張り出す。
乾いた唇にそれを咥えて先を揺らしながらホールへと足を進めた。
正面に見える小十郎の定位置であるカウンターに人影はなく、ぐるりと見回したホールの片隅で腰を浮かせるスーツの男がいた。
短い前髪の下で佐助を見つめる黒い瞳が尋常ではない鋭さで佐助を射抜く。
「あれ、俺様タイミング悪かった?」
言いながら伸びた前髪をさらりと掻き上げる。
呆れた声で佐助を諌める小十郎の向かいに、まだ少年っぽさの抜けない小柄な男が腕を組んで座っている。
顎のラインで切り揃えられた癖のない黒髪が照明に青光りする男の整った顔がチラリと佐助を見て、またすぐに正面のテーブルの上に視線を戻す。
浮かせた腰をソファに戻した綺麗な顔をした短髪の男が若頭で、隣の小柄な男はお付きの下っ端、と言うことなのだろうと勝手に解釈した佐助は、佐助を紹介する小十郎の声を聞いて小さく頭を下げた。
営業用のスマイルをつけるべきか否か数瞬迷って、結局咥えていた煙草を取ってヘ ラリと笑うだけに止めた。
何事か話し始める小十郎と若頭らしき男の声を背中に聞きながら隣の卓に置いてあったヘルプ椅子を移動させて小十郎の隣に落ち着いた。
それを待っていたらしい小十郎がスーツのポケットから分厚い封筒を男に差し出した。
佐助は僅かに眉間に皺を寄せたが、手のひらの中の煙草を弄んでからそれを再び咥えて火を点けた。
ゆっくりと煙を吸い、そして輪にしてそれを吐き出した。
小十郎の言う通り、正面からどちら様ですかと聞ける相手ではないことは佐助にもわかっているが、決して安くはない金を払ってまでどうにかしなくてはならないようなことなのだろうか。
できることならば小十郎の手を煩わせることはしたくなかった。
しかし、元々少し頭の足りない佐 助である。
賢い小十郎に何も悟られないまま事を収める事などできるはずもない。
小十郎が一番いいと判断したのだから間違いではないのだろう事は理解はできるが、納得はできないのが佐助の心情だ。
仕事柄聞き流しているだけでもきちんと内容は頭に入ってくるが、その内容を噛み砕く頭の逆側でそんなことを考えていたら小十郎に脇を小突かれる。
何のために同席しているのかという事なのだろうが、気は進まない。
「10日くらい前から。最初は店から帰る時に気付いたんだけど、それより前は分からないし、借金もなけりゃヤクザの友達もいない。絡まれたこともないし、全く心当たりない。あるとしたら俺様が可愛すぎることくらい。」
わざとらしく片目を瞑って、目の前で困ったように 笑う男を見つめた。
最後の一言は聞き流したらしい男は端正な顔を僅かに歪ませ、暫く考え込んだ。
煙をゆっくりと吐き出してその顔を眺めていた佐助は、小十郎が言っていた事をふと思い出す。
小十郎よりもカタギらしいというか、ホストのような顔をしている。
着ているスーツの品の良さや、ネクタイとワイシャツの色の合わせ方、そしてきっちりと着込まれたベストも、どうすれば自分が良く魅えるかを理解している男だ。
襟元のバッジさえなければどこかの店のナンバーだと言っても通用するレベルだなと思った。
それでも小十郎の方がいい男にはかわりないけど、と胸中に呟く。
「うちの、張り付かせとけ。報告に戻るだろ。相手がわかれば後は俺の仕事だ。」
どうでもいい事を考 えていた佐助の思考を止めたのは意外にも隣に座っていた小柄な男だ。
兄貴分の前にしては態度がでかいなと思ってはいたが、言っても佐助や小十郎は『外の人間』なのだからそんなもんだろうと決めつけていた。
しかし、今のセリフは訳が分からない。
若頭が目の前の男だとして、彼にタメ口というよりも命令できる人間は組織のトップに立つ組長だけであるはずだ。
しかし、斜め向かいで煙草を出す男はどう見てもまだハタチそこらの男だ。
その男に向かい側に座る男が火を差し出している。
それを隣で眺めている小十郎はライターを出す素振りさえ見せない。
「あなたはまだ自分の立場をわきまえられないんですか?」
「わきまえてる。政治は俺の仕事だろ?」
目の前で繰り広げられ ている会話と、佐助の脳内で割り振られているふたりの役職が全くもって合致しない。
政治が仕事の子供と、その子供にライターの火を差し出して敬語で話す若頭、にしか見えないのである。
子供が正体不明すぎる。
混乱した頭で佐助がようやく一言を絞り出す。
「えっとー…どっちが若頭さん?」
申し遅れました、と目の前の男が差し出す縦書きの名刺を丁寧に受け取った佐助はその名刺に書かれている『龍正会 若頭』の文字を見てそうだよねと納得する。
しかし、確かめたいのは目の前の男の事ではない。
その隣でふんぞり返って煙草を吸っている小柄な男のことだ。
納得していない事が表情に出ていたのか、煙草を咥えたままの男がテーブルの上に名刺を滑らせた。
それがテーブル の端を通過する前に指先で止め、やはり縦書きのそれに視線を走らせる。
「え、ちょっ…十代目って、ええっ!?」
先入観というのは恐ろしいものだと思うが、佐助の思い描くヤクザの組長は成金らしく腕や指を貴金属で飾った、恰幅のいいと言えば聞こえがいいだけの脂ぎったオッサンで、若くして組長になるのは映画やドラマの中だけの話だと思っていたわけで。
目の前の名刺を滑らせた男をもう一度見る。
身長は佐助よりも低いし、どう年嵩に見積もっても大学を卒業したかしないかくらいの若い男で、まだ高校生と言っても通用しそうなものである。
伊達というその男よりも、隣にいる鬼庭という男の方が組長だと言われた方がまだしっくりと来る。
伊達と鬼庭を交互に見遣る佐助の視線の 先で鬼庭がクスリと笑った口許を軽く握った拳で隠した。
「…あンだよ。」
それを不服と受け取ったらしい伊達があからさまに不機嫌な顔で佐助を睨みつけながら煙を吐き出した。
「まだガキじゃん!!!」
「ガキじゃねえ!!もう25だ!!」
思わず叫んだ佐助に、伊達がそれまではだらしなく座っていただけのソファから立ち上がりそうになりながら反論する。
25歳だなんて信じられるような見た目じゃないだろうと思いながら、こんなガキが十代目のはずがないと頑な頭の片隅が考えてしまうのは人間の性か。
「うそだ!!」
「嘘じゃねえ!!てめえ東京湾に浮かべるぞ!!」
「俺より年上だなんて嘘に決まってる!!どう見たって高校生だろ!!」
「そんなわけあるか!!てめえ そろそろマジで東京湾までご足労願うぞ!!」
どうにも収まりの気配を見せない応酬に、ふたりの隣でそれぞれがそれぞれに頭を抱え始め、テーブルを挟んで掴み合いでも始めそうなふたりの襟首を引っ掴む。
「テメェはいちいちうるせえんだよ…」
「これのどこらへんがわきまえてるんですか?」
「「だって…!!!」」
伊達と佐助の叫ぶ声が重なり、ふたりはバツが悪そうにそっぽを向いた。
それを見た鬼庭は小さく笑い、小十郎と佐助に向き直ると柔らかい声で言った。
「とにかく、事情はわかりました。十代目の言うとおりうちの若いのを張り付かせますから、しばらくは今まで通りにしていてください。なるべく綺麗なの寄越します。」
そう言った鬼庭の隣で不貞腐れてソファに沈 む伊達が隣の男を睨んでいるが、そんな事にはお構いなしらしい鬼庭は淡々と話を続けていく。
子供っぽいが、十代目というのは本当なのだろうし、彼が先頭に立って(と言うと少し意味が違うようにも思うが)この件を解決してくれる人間である事には変わりなさそうだ。
小十郎の話によれば、向こうは向こうでなにか面倒なことが起こっているらしかったが、片手間にであるにしろ引き受けてくれるという事なのだから、佐助にとっては喜ばしい限りだ。
この問題が片付いたら、さっさと政宗を引き摺り下ろして小十郎に全てを打ち明けよう。
そして、母親と小十郎の事だけを考えて生きて行こう。
それが何よりの幸せだと思った。
欲しいと喚けば手に入るものだってあるのだ。
そうして手に入 れたものは、何があっても手放さないとただ覚悟を決めればいい。
小十郎から佐助の宣材写真を受け取った鬼庭が席を立とうとするのを制した小十郎が佐助に一人分の食事を買ってこいと顎をしゃくった。
それに間延びした返事を返して佐助はふらりと立ち上がる。
カランと音を立てたドアベルの余韻だけを残して紫色に染まり始めた空の下に出て煙草を咥える。
視界の端で派手なスーツが動き、足を進める佐助の後ろについた。
そこで初めて小十郎の思惑を理解し、そして次の瞬間には何を食べるかを考え始める。
弁当かファストフードか、小十郎の家を出てからも何も食べていないことを思えば食べ物ならば何でもいいような気さえするが、あのふたりが無事に帰り着くだけの時間を稼がなくて はならない事を思えば、駅前のコーヒー店でサンドイッチとコーヒーでも買うのがいいかと考え至る。
駅の方から流れ込み始める仕事帰りのサラリーマンと仕事へ向かうキャバ嬢たちの流れに逆行しながら煙を吐き出した。
買ってきたサンドイッチとコーヒーの入った袋を片手に店に戻ると、小十郎はコンビニの弁当を食べていた。
「あのふたり、ちゃんと帰れたかな。」
「さあな。テメェもとっとと食っちまえよ。」
「うん。」
小十郎の隣に座り、買ってきたコーヒーは小十郎に差し出して、自分はサンドイッチの包みを破った。
「飲まねえのか?」
「あげる。可愛い俺様からのサプライズプレゼントに代表もときめきまくりでしょ?キスしちゃったって構わないよ?」
ほら、と両手を広げて両目を閉じたキス待ち顔で小十郎を振り向く。
ふうん、とそんな佐助をチラリと見て小十郎はコーヒーを受け取った。
待てど暮らせど抱きついてこない小十郎にしびれを切らした佐助は目蓋の隙間から弁当を食べ終わったらしい小十郎がゴミを袋に詰めて厨房へと回るのを見送る。
そう言えば、と厨房から戻った小十郎が佐助の向かい側に腰を下ろした。
「上にいたのか?」
「うん。いたよ。律儀に駅前までついてきた。やっぱりこれって俺の個人的なストーカー?俺様が可愛すぎて俺様のプリティなおしりが狙われてるってことなのかな。困っちゃうなあ、俺様モテるから、男にも女にも。」
「前から気になってたんだが…言ってて虚しくなってこないもんなのか?」
袋から出したカツサンドを頬張った佐助はなにが?と返すのにため息で応えた小十郎は内ポケットから出した煙草の箱を弄んでいる。
「あ、別に吸っていいよ。俺様そう言うの気にしない。」
「知ってる。」
そう言って小十郎は煙草に火をつけて佐助の前にある灰皿を膝の上に乗せた。
「ていうかさあ、あんな子供が組長だなんて思うわけないんだから先に言っといてよね。任せて大丈夫なわけ。どっちもすげえ若かったしさ。イケメンだったけど。」
「なんだかんだ言って修羅場はくぐってきてんだよ、あの人も。」
「ヤクザの修羅場って死ぬか生きるかのイメージなんだけど。ヤクザは子供にも容赦ないってことじゃん。ヤバい、俺様本当に攫われて売り飛ばされたらどうしよう。怖くなってきた。代表ちょっと抱き締めて。」
「ちょうど、…」
小十郎が言いかけてやめるのを、佐助は頬張ったカツサンドでほおを膨らませて見つめた。
ヤクザになるかホストになるかしかなったと言った目の前の男は、さっきの男たちとつるんでいたことがあったのかもしれない。
いい知れない不安と悋気のような得体の知れない感情が胸の内でじわりと広がる。
「続きをどうぞ。黙って聞くから。」
思いの外真剣な佐助の表情をチラリと見た小十郎はため息に煙を混ぜて吐き出し、膝の上の灰皿に灰を落とした。
「俺がプレイヤー上がった頃だ。代表に昇格するためのイベントの準備で急がしい時だった。鬼庭が連れてきたヤツがいた。そいつの面倒を見て欲しいってな。話を聞けば跡目争いに巻き込まれた坊ちゃんが刺されて、その首謀者じゃねえかって言われて組から逃がさざるをえないんだっていうから、俺はとりあえず頷いた。まあ、ケツ持ちに借り作っときゃあ後々便利だろうと思ったしな。」
言葉を選ぶように慎重に話す小十郎に、いつもの歯切れの良さはなかった。
小十郎の向かい側で佐助は難しい顔をして考え込んでいる。
一口吸いつけた煙草を膝の灰皿で消し、小十郎は先を続けた。
「そいつはそもそも組の跡目に興味なんてなくて、結局はそんときに揉めてた組からの内政干渉みたいなもんだったらしいが、本当のところは俺はしらねえ。腹だか背中だか刺されて、鬼庭が刺されたわけでもねえのにアイツは真っ青な顔してたな。そんなことがあっても、十代目になった男だ、あの人は。」
「その、面倒見る約束した人ってまさか政宗さんじゃ、ないよね。」
サンドイッチをゆっくりと咀嚼し、それをまたゆっくりと飲み込んだ佐助が問う。
小十郎の目が鋭くなって佐助を射抜いた。
無言の肯定だと佐助は思った。
「…なんでそう思うんだ?」
「結構昔、俺がまだ入ってすぐくらいの頃の休みの日に政宗さん見たんだよね。向こうは気付いてなかったと思うけど。その時に連れの男が、政宗さんのこと伊達って呼んでた。あの組長、伊達って言うんだろ。最初名刺見たときは忘れてたけど、今の話聞いてて思い出した。あの人も伊達なんだよ。血縁なんだろ?で、政宗さんと揉めて刺されたってことじゃないのかよ。」
「思うのは勝手だが、俺は肯定しない。あと、政宗の名誉のために言っとくが、仮にテメェの思ってる血縁があったとして、アイツは坊ちゃんを刺したりするような男じゃないぞ。」
佐助が政宗の名字を知っていたことに僅か驚きながら、やはり話すべきではなかったと後悔する。
知らなければ知らないで済んだことだ。
少し身を堅くして小十郎が言った言葉に、佐助はふと笑った。
「わかってる。っていうか、別にあの人がどこの誰だろうが俺にとっては引き摺り下ろすべきNo.1であることに変わりはないわけだし。俺様わりと現実的なタイプだから自分の価値観しか信用してないんだよね。だから俺は自分の知ってる政宗さん以外に興味ないわけよ。代表の心配してるようなことにはならないよ。それに、ヤクザの揉め事に首突っ込むほど間抜けでもない。」
「…テメェが思ったより賢くて俺は驚いてるよ。」
絞り出すように太い息とともに言った小十郎に、そんなに褒めないでよと照れて笑う佐助はやはりどう見てもバカだった。
感心して損したなとこめかみを揉んだ小十郎は腕時計を確かめてカウンターへ入っていく。
その背中を見ながら、よくも何年もの間そんな秘密をひとりで守り切ったものだと佐助は感心する。
下手をすれば爆弾だ。
そんな男を抱えながらもすべてうまくやってきた男の器量に感嘆を通り越して恐怖すら覚える。
しかし、それを少しだけだとは言え佐助と分かち合ったことに佐助は満足していた。
小十郎に信用されているのかもしれないと思えた。
へへ、とひとりで笑いながら残りのサンドイッチを片付ける。
もうじき営業が始まる。
この街に吸い寄せられるように欲を抱いた人間がこの街に溢れ、そして吐き出されていくのだ。
この街の変化はめまぐるしい。
しかし、この街はここへ訪れる全ての人間の過去を問わない。
どんな後ろ暗い過去も、どんなに栄光に満ちあふれた過去も、ここでは不問だ。
佐助はこの男がいるこの街が愛おしいと思う。
End
Been spun out for sometime.
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