店を出てから自宅につくまでの間、ふたりは何も話さなかった。
両手をスーツのポケットに突っ込んだまま、普段の不貞腐れたような表情とは違う大人びた思案顔で後ろをついてくる成実を肩越しに振り返りながら辿り着いたマンションの玄関の扉を開ける。
綱元が固定する扉をさっさとくぐり、綱元が鍵をかけて靴を脱ぐ頃には成実の姿は玄関からは見えなくなっていた。
バスルームで浴槽の蛇口をひねってからリビングに入り、ジャケットをダイニングに放り出してソファに転がる成実を一瞥する。
ネクタイさえ外さず、左腕を目の上に乗せている。
「ネクタイくらい外したらどうです。」
成実は定まらない視線で天井を見上げたまま左手でネクタイをほどき、それを持ったままの手を元の場所に戻した。
ため息混じりにそれをみていた綱元はワイシャツの袖を捲りながら対面のキッチンへと向かう。
「疲れたんですか?」
「うん。」
「ご飯どうします?」
「うん。」
とりあえず手を洗った綱元はタオルで手を拭きながら成実の方へと歩み寄る。
「…人の話、聞いてます?」
「うん。」
「…俺のこと愛してます?」
「別に。」
全くと言っていいほど話を聞いていないらしい割には大事なところだけは的確に答えてくる成実の指先に絡まったネクタイを取り上げ、ついでとばかりにその腕も持ち上げる。
「飯はどうします?」
「うん。」
「あなた、会話する気あります?」
「うん。」
「ないんですね?」
「うん。」
「俺に喧嘩売ってま す?」
「せっくすしたい。」
「あなた、そればっかりですね。」
「うん。」
うん、ともう一度頷いた成実の右手が、ソファの横に跪く綱元のうなじに伸び、短い襟足を引くようにしてキスをねだる。
「はやく。」
呆れたように小さく息を吐き、癖のない黒髪が散らばる額に口付けた。
顔をあげた綱元を不満げに下から睨めつける成実を宥めるようにくしゃりと頭を撫でて綱元は立ち上がる。
「晩飯にしますから、先にシャワー浴びてきてください。」
「やだ、セックスしたい。」
「飯と風呂が先です。終わったら存分に鳴かせてあげますから、はやく入ってきてください。お風呂。」
「やだ、ベッド。」
とうとうソファの上にあぐらをかいて座り込んだ成実の頭に掌を置いた綱元は 困ったように笑った。
「成実さん、俺はベッド以外でもきちんと話が聞ける男だと思うんですけど、あなたはベッド以外では思ってることも言えないんですか?俺が急にいなくなったりはしませんから、とりあえずシャワー浴びてきてください。いいですね?晩飯用意して待ってますから。」
まるで子供にでも言い聞かせるように言う綱元の目が柔らかく細められ、ソファから見上げる成実は困ったように顔を伏せた。
綱元の言うことも最もだが、何がこんなにも胸につっかえているのかがわからない。
いろいろなことが一度に起こりすぎていて、どれに対しても不愉快で、何に対しても妥協出来ない。
あざなわれていただけの細い糸が一本一本ほつれては千切れていくような不安がずっと成実につきまとっている。
その雁字搦めに絡まった気持ちを一つ一つほどき、現状を直視するにはまだ成実は弱い。
一度に起こってしまったことへの感情を、自分の頭の中でさえ処理できていないのだ。
手っ取り早い逃げがセックスだと言うだけで。
何も考えなくて済むのなら何だってよかった。
黙り込んだ成実の手を引っ張って立たせた綱元は柔らかく笑んで、正面から小柄な成実を抱きしめた。
「疲れてるんでしょ?いろんなこと、一気に起こっちゃいましたからね。成実さんは、少しゆっくりしたほうがいいんですよ。」
ね?と俯いた顔を覗き込まれ、反論出来ずにゆっくりと頷く。
ほらと背中を押されて渋々風呂場へ向かった。


脱衣所の扉が閉まる音を聞いて、綱元は太い息を吐いた。
豊臣会の跡目の葬式以来、成実が頑なに沈めてきた過去を少なからず抉る出来事が立て続けに起こっていることを思えば、成実の憔悴した表情も当然だ。
それはどんな形にせよ、いずれ決着をつけなくてはならないことには違いないが、何もこのタイミングである必要はなかったように思う。
もう少し成実が組長としていろいろなことを経験して成長してからでもよかったのだ。
しかし、起こってしまったことは仕方が無い。
解決するしかないのだ。
それは間違いなく成実には重荷であっても、見えないふりはもう出来ないところまで来ている。
沸騰した鍋にパスタを放り込みながらそんなことを考える。
濃厚なトマトの香りがハーブのそれを纏ってキッチンに充満し始めた頃、風呂場で遠泳でもしたかのように憔悴した様子の成実がリビングに戻ってきた。
「早かったですね。」
「ん。…晩飯、なに?」
「チキンとトマトのパスタですけど、食べられます?」
「食べる。」
こくりと頷いた成実にほっとしつつも、あからさまに体力のなさそうな背中が気になって仕方がない。
明日は成実を一日寝かせて、あさっては気晴らしにとこかへ連れ出すかと考え、昔と変わらない自分にうんざりする。
遠回りをするだけで、乗り越えるだけではないそれに、いくらほどの価値もないように思うが、今は重く閉ざされた成実の心が少しでも軽くなるのならそれでもいいと思ってしまうから、甘やかすなと怒られるのだろうか。
「成実さん、小十郎の件ですけど、俺に任せてもらえませんか?」
「約束したから、」
「え?」
頭に乗せたままのバスタオルの隙間から雫と共にぽとりと落ちた言葉の意味を図り兼ねて聞き返す。
鍋の中ではパスタがふらふらと漂っている。
もう引き上げてもいい頃だろうか。
「守るからって、約束したから。俺も動く。最終的には、お前だけじゃ済まない話かもしれねえし。」
「そうなった時にはもちろん、動いてもらうことになりますけど、それまではとりあえず。他にも考えなくちゃいけないことも多いことですし。」
努めて笑みを絶やさない顔で何でもないことのように言う。
あの若頭の息子だ。根が真面目すぎて背負いすぎる。
「でも、」
「大丈夫ですよ。逐一報告しますし、何かあった時だけ手を貸してくれれば事足りることですから。成実さんの気持ちは理解してるつもりですから、あなたの望むように解決してきますよ。ね?」
「…わかった。何かあったら、すぐ言えよ。絶対だからな。」
父親に遊園地へ行く約束を取り付ける幼児のような必死さで念を押す成実の声を遮るようにパスタの茹で時間を知らせるタイマーが鳴り、綱元はシンクのザルにパスタを開けた。
「もうできますから、そこのスーツ片付けてきてもらえます?」
言いながら茹で上がったパスタにソースを絡める。
我ながら今日のパスタは上出来だと味見をしながら思う。
ソファに伸びていた成実はゆっくりと立ち上がってふたり分の脱ぎ散らかされたスーツのジャケットを持って寝室へ入っていった。
綱元が完成したパスタを皿に盛りつけてダイニング に並べたところで成実が戻ってくる。
首に掛けていたバスタオルをソファに放り出した成実がダイニングに座るのをキッチンから眺めていた綱元はそう言えばと声をあげた。
「遠藤さんが前にくれたワインが残ってるんですけど、たまには飲みます?」
「赤?白?」
問われて綱元は冷蔵庫の中からワインのボトルを取り出す。
「ロゼ、みたいですけど。ビールが良ければそっちもありますけど。」
「どっちでもいいや。お前の飲みたい方でいい。」
「じゃあ、こっちにしますかね。」
そう言って手の中の薄色のワインのボトルを掲げてみせる。
小さく頷いた成実を確かめてオープナーとグラスを手にダイニングに座った。
器用にワインの栓を開ける綱元の細い指先を眺めていた成実は、ふ うと小さく溜め息をつき、目を伏せた。
「なあ、明日、俺寝ててもいい?」
「ええ、どうぞ。夕方から佐助さんのところに人をやって、何件か集金に行くくらいですし。」
グラスにワインを注ぎながら応える綱元に悪いなと言って昼間に訪れた招かれざる客を思い出した。
「明智、明日来やがったら面倒だな。」
「明日はさすがにないでしょうけど、もし来ても適当に対応しておきますよ。」
「できるだけ丁寧にあしらっとけよ。ねちっこいんだ、アイツ。」
そうですねと笑った綱元が差し出すグラスを受け取り、静かにグラスを合わせて貰い物のワインを一息に煽る。
まだ若く、甘いワインだった。
「食前酒にしておくべきかもしれませんね。」
それを悟ったらしい綱元が言うのに、成実はにべもなく応える。
「酔えりゃ何だっていいんだよ、俺は。」
「感心しませんね。」
言いながらも空になった成実のグラスに新しくワインを注ぎ足す綱元に、咎める気持ちはないのだろう。
こういう時、何も聞かず何も言わないでいてくれる綱元の優しさが嬉しかった。


ふたりはほとんど同時に皿を空にし、それと時を同じくしてワインのボトルも空になった。
アルコールで僅かに赤くなった顔で成実はソファに転がった。
「成実さん、牛になりますよ。」
「どっちかっつーと豚だな。すげえ腹一杯。」
「そりゃ良かったです。」
「綱元、ついでにビールとって。」
重ねた皿を下げる綱元の背に言って成実は仰向けに転がった。
飲まないとやっていられないと いうのは、こういうときのことを言うのだろうとぼんやりと思う。
何よりも一番重たく胸の中で澱んでいるのは、政宗のことだと風呂場で気付いた。
豊臣会のことは、どんな形であれいつか必ず決着を付けなくてはならないことで、今までにもこんな歯痒さに奥歯を噛んだことは何度もある。
しかし、政宗が出て行ってからの3年間、成実は政宗との間にあったことを努めて忘れてきたのだ。
腰に残った決して浅くはない傷痕も、時折偏頭痛のように成実を苛む政宗の影も、3年もたてば薄れ、徐々に輪郭を失っていく。
最初からいなかった人間のようにさえ思っていたところがあったが、今日初めて現在の政宗の生活圏内に立ち入ったことで、それらが急に輪郭を持ち始めた。
心のどこかでは和解したいと思っている。
しかし、それを許さないのは感情ではなく建前だ。
極道としてのメンツが、組を捨てていった男を許せない。
それを理解している政宗が、努めて成実たちを締め出そうとしているのだと言うことも理解している。
理解はしても、納得ができないのだ。あの刑事が言ったように。
何も奪われたのは父親だけではない。
従兄弟も奪われていったのだ。
その代わりのように手に入れた権力の象徴のようなあの椅子は、その身代わりを何一つもたらさない。
目の上に乗せた左手を強く強く握り締める。
「何を考え込んでるんです。」
既に開いた缶ビールを片手に握り締めた成実の手の上に新しい缶を置いた綱元が困ったように笑った。
体を起こし、ソファの半分を綱元に明け渡しながら成実はプルを引いた。
「政宗のこと。」
短く応えてビールを一息に煽る。
隣に座った綱元も缶の中身を舐めるように一口飲んで、気になりますか?と成実の頭を撫でた。
「あいつは、幸せなのかな。」
「どうでしょう。」
アイツだって家族を奪われた。親族も、慣れ親しんだ居場所も、アイツは何もかも失った。
そのどれかひとつでも取り戻したいとは思わないのだろうか。
自分ばかりが過去に取りすがって、失った失ったと喚いているだけなのだろうか。
「今日、あの店に行って、…あいつは確かにここにいるんだなって、思った。」
「恋しくなりました?」
「ちょっとだけな。」
鼻で笑って言う成実が缶ビールを煽る横顔を眺めていた綱元は初めて帰宅した後の成実の言葉の意味を理解する。
寂しいのだ、ただひたすら。
自分には誰かがいることを実感したくてセックスがしたいと言ったのだろう。
抱いてやれば良かったと少しだけ後悔する。
政宗と成実が兄弟のように育ち、様々なことを供に見聞きし、あらゆる経験と感情を共有してきたことを綱元は知っている。
いわば半身のようにさえ思ってきた男が姿を消したのだ。
その歪な体に数多の傷をこさえて建前とメンツの鎖に繋がれる男は、どうしても痛々しかった。
その政宗に自分が成り代わってやれぬことも痛いほとに理解しているが、成実がいくら求めても、喉が潰れるほどに叫んでもあの男はもうここには戻らないことも理解している綱元はただ、あの男以外にも成実と全てを共有する覚悟がある人間がいることを伝えるしかない。
缶ビールをテーブルに置いた成実の頭を自分の方に押し付けるようにして抱き寄せる。
「俺じゃあ力不足なことはわかってるんですけど、俺で我慢してくれませんかね。」
「お前のこと、政宗のかわりだなんて思ったことねえよ。」
綱元の肩口に鼻先を猫のように擦り付けながら言った成実が嘲るように嗤った。
自分を捨てていった半身への寂寞か、成れぬものになろうとする綱元の愚直か、未練を残す己への侮蔑か。
その嘲笑がどれを嘲ったものなのかはわからなかったが、綱元はそうですねと応える他なかった。
「なあ、セックスしようぜ。さみしくなっちゃった。」
綱元の肩を撫で、膝に乗り上げてくる成実の腰を抱きながら綱元は諦めたように笑う。
「ベッド行きます?」
「床でもいいぜ?」
唇の触れる距離で悪戯っぽく笑った成実の唇を舐めた綱元は困りましたねと小さな声で言った。
「今日は成実さんをうんと甘やかしたい気分なんで、ベッドまで移動してもらえます?」
「じゃあ俺今日マグロにしててるから、お前のやりたいようにやれよ。」
不敵に笑った成実がするりと腕を綱元の首に絡ませる。
愛されてやるよとねぶられる耳朶からぞわりと鳥肌が立った。
半分ほど中身を残した缶ビールをテーブルの上に置き、膝の上で笑う成実を抱き上げた。
そのまま寝室へと向かう綱元の首筋に抱きつきながら、成実がクスリと笑った。
「綱元の優しいとこ、俺結構気に入ってるぜ。」
「セックスのときだけ狡猾で積極的な成実さんも悪くないですよ。」
仕返しとばかりにそう言った綱元はベッドの上に成実を寝かせると、覆い被さるようにして唇を奪う。
招かれるように成実の中に入り込んだ綱元の舌先がアルコールの匂いがする成実の舌を絡めとってきつく吸い上げるのに、成実が鼻から抜ける声をあげる。
舌先を甘噛みし、欠けた奥歯をなぞり、呼吸まで奪っていくようなキスのどこが優しいんだよと胸の内で突っ込みながらもそれを享受した。
寝間着代わりのスウェットをまくり上げられ、腰の傷痕を短い爪が引っ掻いていく。
普段はそこだけ神経がなくなったように鈍いそこが、じわりと疼いた。
唇に飽きた綱元の唇が離れ、額に落ち、目元に落ちる。
啄むように繰り返されるそれが耳に落ち、やがて首筋を舐めら れて成実はくすぐったさに肩を竦めた。
胸にわだかまるスウェットを脱がされ、露になった肩に口付けられる。
マグロにしているからとは言ったが、少々手持ち無沙汰になった成実は、綱元の体の下に手を入れてワイシャツのボタンを外し始めた。
「マグロにしてるんじゃなかったんですか?」
鎖骨のくぼみに唇を付けた綱元が笑うのに、うるせーよと返してボタンを外していく。
鎖骨の下に滑った唇が興奮に浅くなった呼吸に合わせて上下する胸に口付けるが、成実が触れて欲しいところには見向きもしない。
浮いたあばらを数えるように滑った唇が臍の上に落ち、そのくぼみを抉るように舌先が触れた。
大仰に跳ねた腰の下に滑り込んだ手のひらが器用に下着ごとスウェットを脱がしていく。
焦れた成実の指先が綱元の短髪を引き、顔を上げさせた。
「なん、もういい、って…」
「愛されてくれるんなら、おとなしくしててもらえます?」
「だって、もう…」
言いかけた成実の浮いた腰骨を綱元の舌がなぞって、成実は息を詰めた。
内腿に痕を残す唇に成実の脚が震えるのにもお構いなしに骨張った膝を擽り、踝に音を立てて口付ける。
「成実さん。」
「っ、…なに」
恭しく足を持ち上げてその甲に付けた唇で綱元が成実を呼ぶ。
もどかしさに苛立ちながら応えた成実に再び覆いかぶさるようにして口付けた綱元の舌はさっきまでが嘘のように略奪者の凶暴さで成実の口内を蹂躙する。
「っ、…ふ、」
ぐちゃぐちゃと響く粘膜を蹂躙するを音に成実がきつく目を瞑る。
触れられたわけでもないのに勃ちあがった乳首をぐりぐりと潰されて細い肩が跳ねたが、綱元がその手を緩めることはない。
確かに下腹部にわだかまる血流が、脳の酸素濃度を下げてぼんやりと思考に靄がかかったようになにも考えられなくなっていく。
乳首を捏ね回していた指先が意図をもって脇腹を滑り、腰の傷跡を撫でて成実自身を握り込む。
悲鳴のような声を小さくあげた成実は顔を隠すようにして両腕で顔を覆った。
溢れる先走りを塗り込めるようにぐちぐちと敏感な部分を攻める指先に、思わず上がりそうになる声を噛み殺す成実を見て綱元が小さく笑った。
「声、出せばいいのに。」
「っるせ、…っあ!クソ!!」
軋むスプリングを殴りつけ、枕を投げる凶暴な手首を掴み、綱元はちゅと音を立ててキスをする。
「焦れちゃいました?」
「わかってんならさっさと、…っ!」
にやにやと人の悪い笑みを浮かべて浮かべる綱元に噛み付かんばかりの勢いで喚く成実の体内に先走りでぬるんだ指先が押し込まれる。
突然の出来事に背中を弓なりに逸らした成実が落ち着くまでゆるゆると中をひっかく。
「お前、ばかか…」
「焦らすと早くって言うくせに。」
「だからって、」
「痛くはしてないつもりですけどね。」
「そう言う問題じゃねえだろ。」
「気持ちよけりゃ何でもいいくせに。」
蔑むように言った綱元の指が成実の中で責めるように蠢く。
引きつれた喘ぎでちがうと叫ぼうとした成実の意識は掻き乱された。
ぐちぐちと音を立てて抉られる体内と、成実を見下ろす綱元の冷たい瞳に成実の劣情がこれ以上ないほど煽られる。
泣き出しそうに喘ぐ成実が伸ばした腕に捕われてやりながら、綱元はただ成実を哀れんだ。
縋り付いていなければひとりで立ち上がることもできないくせに、強がっては傷付く不器用な子供だ。
誰かを傷付けてしか生きられないと決めつけて、自分が一番深く傷付いている。
そのくせそれを認めようとはしない。
愛だの恋だの、そんな軽くて面倒なものは必要としていない。
幸せなど望まず、ただ抜け出せない地獄のような人生に寄り添う誰かを求めている。
本当に可哀想で愛しい。
ぐりぐりとしこりを潰すように体内を蹂躙する指先に、掠れ始めた成実の悲鳴が高くなる。
「も、…はやく、っ。」
綱元の首に回した腕で綱元を引き寄せ、形のいい耳に叩き込むように言った成実のつがった犬歯がかみちぎらんばかりに綱元の耳に噛み付いた。
成実を苛む指先を雑に引き抜いた綱元は煽られるままに着衣を脱ぎ捨てて成実の体内に押し入る。
熱っぽい瞳で一連の動作を眺めていた成実の喉が引き連れるようにして絶叫する。
がくがくと乱暴に揺さぶられ、意識が白んでいく。
繋がり慣れた熱は的確に成実の体温を上げるように暴れ回り、不規則に乱れる成実の呼吸など知らん顔で呼吸ごと唇を奪っていく。
酸欠に明滅する視界が一瞬白く染まり、強すぎる快感に引き戻される。
もういやだと喉の奥で呻く成実の切れ長の目尻からはらはらと涙が溢れるのを、綱元はえも言われぬ不快感と共に見つめた。
その涙を拭うことのない残酷な指先で成実の前髪を掴み、枕に押し付けながら胸中に救う恐ろしく残忍な気持ちを押し殺す。
このまま殺してしまえば、ふたりとも楽になれるのだろうか。
そろりと伸ばした指先で男にしては華奢な首を押さえつける。
窒息に喘ぐ赤い舌が困ったように揺らめき、切なげに寄せられた眉の下で涙が白く色を失ったこめかみに流れていった。

End

さようなら世界。

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