風俗街によくある小汚い雑居ビルだ。
一階はデリヘルの事務所が、二階にはママと呼ぶには年を取りすぎた女の営むスナックが、3階にはお世辞にもまともだとは言い難い金貸しの事務所が入っている。
エントランスとも呼べない入り口を入ると、ピンクチラシの詰まったポストがあり、階段が伸びる。
階段の脇には一階のデリヘルのティッシュがはいったダンボール箱が狭い空間をさらに狭くしていた。
そんな荒れた雑居ビルの階段を上がる政宗の革靴の爪先は切れかけて点滅する蛍光灯を映す。
それだけをみれば不似合いだと思うが、着ているもの以外はこのビルにいる誰とも大差ない。
悲観するでもなく政宗は三階の事務所の扉を開ける。
古ぼけた応接セットで賭けポーカーに勤しんでいたチンピラのような若い男が立ち上がり、膝に手をついて頭を下げた。
「ご苦労様です。」
「おう。」
軽く手を上げて答えた政宗は叔父貴は?と若い男に問う。
「遠藤さんなら集金に出てます。ちょっとややこしいのが居て…」
「直々に取り立てか。」
「はい。」
政宗は締めていたネクタイを解いてソファに投げ出し、近くにあった事務椅子を引いて座った。
古い椅子が萎びた音で軋んだ。
「親父にここで留守番してろって言われて来たんだが。」
「兄貴から聞いてます。」
「ポーカーだろ?俺も混ぜろよ。」
この金融屋はこの界隈で長く力を持つ龍正会が経営するヤミ金である。
政宗はその龍正会の9代目組長を父に持つ、次期組長だ。
私立大学の経済学部を去年卒業し、今は見習いとして組の雑務を手伝っている。
この金融屋の留守番に来るのも一度や二度の話ではないし、カードを配り直す男達もよく見知っている。
手元に来たカードを眺め、ろくなのが来ねえなと顔には出さずに嘆息した。
適当に3枚をテーブルに投げ出し、差し出されたカードをめくる。
10のワンペア。微妙過ぎる。
煙草くらいは奢らされるかもしれない。
次々とカードが開かれていく。
スリーカード、フルハウス、キングのワンペア、そして政宗のカード。
「俺の負けかよ。何賭けてんだ?」
「煙草っす。」
「俺も切らしてるから買ってくる。マルボロな。」
男の手元にある箱を見て立ち上がる。
中途半端に返事をした男達を背に扉を開けた。
階段を降り、ビルの入り口でティッシュを配る男を横目に歩き出した政宗の視界におおよそこの場所には不似合いな制服を見つける。
紺の詰襟に白と赤のエナメルバッグを肩から掛けた青年と呼ぶにはまだあどけない彼はビルを見上げてぼんやりと立っている。
「オイ、あんた。そんなとこでぼーっとしてると怖いおっさんに絡まれるぞ。」
ハッとしたように振り返った小さな顔でハッキリとしたこげ茶の瞳が政宗を見た。
何かを言い掛けて口を閉じた端正な顔が俯き、伏せた睫毛が頬に憂鬱な影を落とす。
好みだ、と思った。
我知らず足を踏み出した政宗から距離を保つように青年は後退りながら政宗の襟のバッジをじっと見つめた。
それに気付いた政宗は俺も十分怖いお兄さんだったと思い至る。
下手をすればその辺をうろついている同じ代紋を背負うおっさん連中より怖い。
「別に取って食いやしねえよ。こんないかがわしいビルに何の用だ?」
「あの、金が必要で…」
政宗に視線を合わせない彼の目がふらふらとアスファルトを彷徨い、3階かと呟く政宗の声に頷いた。
政宗はため息を吐いてスーツのポケットに手を突っ込んだ。
そのまま煙草の箱を出し、最後の一本を咥えて握りつぶした箱をポケットに戻して火を点ける。
「金借りるならあそこは辞めとけ。まともな金貸しじゃねえ。」
「あの、貴方は…?」
「俺はあそこのもんだ。俺を見ればまともじゃねえの意味くらいわかるだろ?諦めて帰んな。」
薄い唇に咥えた煙草を揺らした政宗は踵を返してコンビニに向かう。
確かに好みだが、相手は金を借りたい高校生だ。
どう考えても訳ありな男に手を出すほど落ちぶれてはいない。
歩き出した政宗の後ろからローファーの足音がついてくる。
「その、どうしても金が必要で、」
「だいたいあんたまだ高校生だろう?高校生には金貸しちゃいけねえんだよ。わかるか?」
背中を追いかける声に足を止めて振り返り、両手をポケットに突っ込んだまま答えた。
胸の前に斜めにかかるバッグの紐を握りしめたまま俯く彼がぐっと押し黙る。
それを見た政宗は切れ長の目を細め、一歩距離を詰める。
「せめて学校卒業してから来るんだな。あんた、可愛い顔してるから売り専にでも沈められて変態のおっさんの慰みもんにされちまうぜ?」
手を伸ばして顎を掴んだ政宗は無表情に言った。
その手を振り払うこともできずに立ち尽くす少年と青年の狭間の男は、この街では餌食にされるだけの弱者だ。
政宗がしてやれることは彼が餌食になる前にここから追い出してやることだけだった。
手を離して再び踵を返す。
彼はもう政宗を追いかけなかった。
コンビニの前の灰皿で煙草を消し、やる気なさそうにレジに立つ男から煙草を受け取ってコンビニを出た。
それをポケットに押し込んで歩き始めた政宗の前に再び履き潰されたローファーが立った。
鷹揚に上がる政宗の視線の前で、彼は泣き出しそうな顔で何かを言おうと口を動かし、そして俯いた。
政宗は鼻でため息を吐き、ジャケットの内ポケットから名刺入れを出した。
「確かにあそこは何でもありだ。身元さえ確認できりゃいくらでも貸してくれる。だがな、いくらなんでも守らなきゃなんねえ決まりってもんがあるんだ。卒業してまだ金が必要ならここに連絡しな。」
ぶっきらぼうに差し出す名刺をおずおずと受け取り、それを大事そうに生徒手帳に挟んだ。
「だから今日は帰れ。本当に恐ろしいのがそろそろあそこに帰って来る。」
彼の横を通り過ぎようとした政宗の耳に癖のある声がぼそりと告げる。
「卒業してからでは…遅いのです。」
政宗はゆっくりと肩越しに思い詰めた横顔を見た。
まっすぐに政宗を見る瞳のつよさと裏腹に厚い唇がかすかに震えている。
政宗は大きく息を吸い込んで足元を見つめた。
話だけでも聞いてやらねば一歩たりとも引かないと言うことか。
ここで待っていろと告げて政宗は足早に事務所に戻る。
遅かったすねと呑気に煙草を受け取る男に、少し出て来ると告げて再び彼の元へ向かう。
遠藤が戻っていなかったのが幸いした。
いれば何かを感づいたかもしれなかった。


コンビニの前で男を拾い、近くの定食屋に入る。
金融屋の男達がよく出前を取る店だった。
少し席借りるぞと横柄に言った政宗は一番端の席を陣取り、見たとおり暇ですのでどうぞと応えた店主が茶を出して下がった。
「あんた、まず名前だ。」
「真田幸村と申します。」
「んで、なんでそんなに金が必要なんだ?」
政宗は言いながらポケットから出した新しい煙草の封を切り、隣のテーブルから勝手に灰皿を取り上げる。
箱から煙草を抜き出す政宗の指先を見つめていた幸村が顔をあげてまっすぐに政宗を見つめる。
たまんねえなと緩む顔を隠すように煙草を咥えてライターの火を寄せた。
幼げな作りの顔だが、少年から青年への過渡期特有の純粋さと匂い立つような若さが目元を染めている。
さほど年は変わらないはずだが、政宗がとうの昔に失ったものを彼はまだ有していた。
そして、流されるままに人生を決めようとしている政宗にはない強固な信念がその頼りなげながら凛とした佇まいに滲んでいる。
彼が持つものは、政宗が持たないものだ。
ないものねだりか、と煙を吐きながら幸村の言葉を待つ。
「学費が、必要なのです。」
「学費?」
「進学するための費用と、一人で暮らしていくための費用が…」
「あんたの事情はよく知らねえが、それを借りるのはあんたじゃなくて親なんじゃないのか?それに、奨学金てもんがあるだろう。」
政宗の言葉に幸村が唇を噛んで首を横に振る。
それでは遅い、と言うことなのだろう。
灰皿の淵で煙草をくるりと回し、政宗は返事を待った。
「俺には…両親がおりません。10年前に交通事故で他界しました。奨学金は、学費は出ても入学金は出ません。今は施設で暮らしていますが、高校卒業時に出て行く規則になっています。部屋を借りるための纏まった金は出ますが、それ以外は自費なのです。」
噛み締めるように話す幸村の言葉が耳を抜け、脊椎を伝って腹の底に落ちていく。
自分が何も考えずに怠惰に過ごした4年間を、必死の思いで掴もうとする男が目の前にいる。
指に挟んだフィルターを噛んだ。
「保証人になってくれるような人もおりませんし、学生では金も借りれません。だから、もうあそこしか…」
幸村が言葉を詰まらせて目を伏せた。
テーブルの上の手が拳を作り、音がしそうなほどぎっちりと握られる。
点けっ放しの呑気なテレビの笑い声が閑散とした店に響いた。
「事情は分かった。だが、そんな状況でヤミ金に手ェ出して無事でいられると思うか?あんたが思ってるより俺たちは汚えよ。馬鹿高い金利で風俗に女沈めるのなんて日常茶飯事だ。あんたぐらいの年の男を売り専に売り飛ばすことだってできる。あんたが信じらんねえようなことが平気で毎日起こるのがこの街だ。わかったら諦めて別の方法を考えな。」
政宗は椅子を鳴らして立ち上がり、灰皿に煙草を潰した。
俯いていた幸村が泣き出しそうに歪んだ凛々しい眉の下から政宗を見上げる。
「伊達殿は、」
名前を呼ばれて足を止める。
「なぜ、俺にそんな忠告を?」
「…は?」
突然問われた質問の意味をはかりかねて間抜けな声を上げた政宗は、テーブルの端を指先で擦った。
「伊達殿は俺のような無知な人間に金を貸して、金利を得るのが仕事ではないのですか?」
ゆるく首を傾げた幸村が質問を言い換えた。
政宗はそう言う意味かとようやく理解し、返事を考えながらポケットの中の煙草を出す。
出した中身を指先で弄びながらゆっくりと口を開いた。
「あんたらカタギさんには理解できないかもしれねえが、俺たちには俺たちの掟ってもんがあるんだよ。それを破る事は容易いが、そのツケを払うのは簡単じゃねえ。あんたに金を貸してあんたの一生を棒にするろくでなしに、俺はなれねえってことだ。」
確かに、この街で政宗達はならず者と呼ばれる人種だ。
雑多な国籍の人間が溢れ、様々な種類の人間が、それぞれの事情を抱えながら窮屈に棲む街だ。
その中でいない方がいいと言われ、小汚い街の裏街道を歩いている。
それでもろくでなしにはなるなと言うのが父の口癖だ。
やったことの責任は必ず取れ、それが出来ないなら手は出すな。自分のする事に責任を持てないのはただのろくでなしだ。そんな人間はヤクザにさえなる資格はない。
誰でもなれるわけではないことを覚えておけ。
幼い頃からそう言われて育った。
くるりと煙草を回して再び箱に戻した政宗は身を屈めて幸村の耳に唇を寄せた。
「あとは、まあ、あんたが俺の好みのタイプだからだよ。」
言われた事の意味を理解出来ずにいる幸村に、割のいいバイトくらいなら紹介してやるよと言って手を振った政宗は店を出た。
暗くなり始めた街にネオンが輝き始める。
政宗はこの街が好きだ。
ただの幼稚園児だった。そして普通の小学生になり、どこにでもいる中学生になった。
だが、表の世界では父親が裏社会の人間だということだけで当たり前であることを許されなかった。
年頃の子供が当たり前のように起こす喧嘩でさえも『あの子はああ言うおうちの子供だから』と囁かれた。
元来社交的な性格である政宗にしては友達と呼べる人間が少なかった。
高校生になり、まわりに集まる責任の文字すら書けないような不良に囲まれて初めて、自分はこの世界で生きていけないのだと気付いた。
しかし、その痛みや絶望を共有する人間が政宗にはいた。
同じ年頃を同じように過ごした成実が、当たり前のように隣にいた。
だからこそ諦めることもできた。
いいじゃないかと開き直り、居場所がある幸せを受け入れることができた。
誰をも拒まないこの街の深い懐に抱かれている、その現実を知ることができた。
心の片隅で表の世界を羨む卑屈な政宗が開くまともだとは言いがたい金融屋の扉の向こうは、それでも暖かく政宗を迎え入れる。
戻っていた遠藤には留守番もできないんですかと呆れられたが。


日付が変わる前に事務所を出た政宗は、遠藤と連れ立って父親が詰めている組の事務所へ向かってぶらぶらと歩いていた。
冬の入り口にさしかかった街を咥え煙草でぶらぶらと歩く。
「なあ、叔父貴。」
返事は期待していないというように呼びかけた政宗に、なんです?と返した遠藤は頭一つ分小さい政宗のつむじを見下ろした。
「今日の取り立て、結局どう収めたんだ?」
「どうってことないですよ、ちょっと割のいい仕事を紹介してやっただけです。」
政宗の咥える煙草の先から流れる煙を眺めながら遠藤は答える。
まあ真っ当な仕事じゃありませんがねと苦笑する遠藤を横目で見上げた政宗はそうかと呟いて地面を見つめた。
「他人の人生を変えるって、どんな気分だ?」
「いい方に変わればそりゃあいい気分でしょうが、私らは悪い方にしか変えられませんからな。お察しの通りの後味の悪さですよ。」
きっちりと黒の三揃えを着こなす遠藤の襟には政宗と同じバッジがネオンの光を受けて光っている。
いずれ、政宗もその後味の悪さを味わうことになるのだろうと思うと気が重かった。
幸村のおぼこな目元を思い出した。
そこに輝く未来への希望を消したのは自分だ。
定食屋の扉を閉める時に見た丸まった背中が思い浮かぶ。
「他人の人生にまで責任もって、親父は苦しくねえのかな。」
ぽつりとこぼした政宗の言葉に一瞬驚いて進める足を強張らせた遠藤だったが、俯きがちに柔らかな笑みを零した。
そして皺の目立つ目尻を下げて答えた。
「そりゃあこんだけ山ほどの構成員の面倒見てるんですから、苦しいこともあるでしょう。でもね、坊ちゃん。親父は、それができる器量がある懐の深いお方なんですよ。私ら下のもんが間違ったらそれを正して、ろくでなしにならねえようにってね。だから私らも安心して親父の手足になれる。」
話す遠藤の横顔を見ていた政宗は、父は愛されているのだなと思った。
彼らが父を親父と呼ぶには訳がある。
父は、政宗の人生に責任を持つように、彼らの人生にも責任を持って生きているのだ。
そして同時に、自分にそれだけの器量があるだろうかと考える。
あろうはずもない。
現に幸村の人生を変えておきながら、あの定食屋に放り出してきた。
短くなった煙草が人差し指を焼いて燃え尽きる。
俯いて押し黙った政宗の頭を遠藤の分厚い手のひらが撫でた。
「大丈夫ですよ。坊ちゃんは親父の息子さんだ。これからいろんなことを経験して、それができるだけの男になる。私が保証しますよ。」
「叔父貴に保証されても今ひとつだな。」
遠藤が押し開ける事務所の入り口をくぐりながら鼻で笑った政宗は事務所の扉を開けた。
中には数人の若い衆と成実が応接セットを囲んで頭を寄せていた。
気付いたひとりが政宗と遠藤におかえりなさいと頭を下げた。
「あ、政宗。ちょうど良かった。これ教えて。もう全っ然わかんねえ。」
振り返った成実が手にしていたシャーペンを放り出して言う。
どうやら三人寄ればなんとやらを信じ、頭数だけを揃えて大学の課題をやっていたらしい。
何人集めようがバカはバカだといつになったら成実は理解するのだろうか。
「お前、相変わらずバカだな。」
思わずため息混じりに言ってしまった政宗に、何だと表出ろ東京湾に沈めてやると成実が噛み付く。
それを若い衆がまあまあと宥め、室内は一気に騒がしくなる。
隣の部屋へ続く扉が開き、父と若頭である成実の父が顔を出した。
「成実、てめえはおとなしく宿題の一つもできねえのか!小学生からもっぺんやり直してこい!!」
若頭が成実に向かって怒鳴りつけるとその場にいた全員が固まった。
そして弾かれたように頭を下げて口々にご苦労様ですと叫ぶ。
若頭は組でも一番の厳しい男なのだ。
「まあまあ。そう怒鳴らんでもいいさ。」
今にも成実の頭を引っ掴んでそれこそ東京湾に沈めそうな勢いで応接セットへ近づこうとする若頭の肩を叩いた父が政宗にお前たちは今日はもう帰りなさいと柔らかい声で言う。
「成実君の課題はちゃんと手伝ってあげるんだよ。」
「親父、あんまウチのを甘やかさんでください。コイツはただでさえ出来が悪いんだ。人一倍やらせねえと。」
若頭が言い終わるより先に成実がオイちょっと待て糞オヤジと喚き始める。
それを見ている若い衆の顔色がどんどん青ざめていくのが哀れになった政宗はテーブルに広げられた成実の課題をまとめて開けっ放しのかばんに放り込む。
「成実、帰るぞ。レポートくらい手伝ってやるから喚くんじゃねえよ。」
「ちょっと待て政宗、オヤジのこと一発殴らねえと。」
「返り討ちに遭ってそこの窓から吊るされるのがオチだぞ。」
「あー!くそっ!!もうお前ら全員くたばれ!!」
「わかったわかった。帰ってから聞いてやるから、ちょっと静かにしろ。」
応接セットのソファを蹴っ飛ばした成実の肘を掴んで事務所の扉へ向かう。
「メシは適当に済ませるから綱元は来なくて良いって言っといてくれ。」
「おい政宗、俺金ねえからお前のおごりな。」
「成実っ!!てめえ坊ちゃんにたかるんじゃねえ!!吊るすぞ!!」
「うるせえ糞オヤジ!!金だけ俺に寄越してひとりで吊られてろ!!」
振り返って父に言った政宗は再び始まった引くことを知らない親子の応酬の収拾がつかなくなる前に成実を引き摺るようにして外へ出た。
隣で空き缶を蹴飛ばす成実の肘を解放し、かばんを押し付けながら事務所の窓を見上げる。 あそこに彼らがいる限り政宗は守られ続けるのだ。
それは隣にいる成実もそうだ。
父親がいなくなったとしてもあの事務所に、あの組に残り続ける男たちは政宗たちを家族同様に思ってくれている。
それを、今日初めて幸せだと思った。
そして、放り出してきた幸村を思う。
頼る場所がないと言った。守られてきた場所からただひとり放り出されるのだと言っていた彼の絶望は計り知れない。
立ち止まったままの政宗を成実が振り返った。
「メシいかねえの?」
「ああ、悪い。何食いに行く?」
「ファミレスでいいだろ。」
追いつく政宗の隣で、成実はかばんを降り回しながら歩いている。
何食おうかな、やっぱ肉だな、ハンバーグかステーキか。から揚げも食いてえしとひとりで夕食のメニューを考えている成実は傍から見ればただのシャブ中か小学生である。
ラブホテルに入っていく派手なデリヘル嬢が喚く成実を怪訝な顔で振り返る。
シャブでも決めているようなテンションの成実と、胸にバッジを煌めかせる政宗の組み合わせだ。
誰でも訝しがるだろう。
「おい、成実。ちょっと静かにしてろよ。」
「むり、俺ハンバーグ食うから。」
スキップでも始めそうな足取りでファミレスの看板へ向かっていく成実は大学生だと言われてもにわかには信じがたい。
しかし、成実はの機微に聡い。
どこか感情の見えないところがある父とは違い、その情の厚さで人望を得ているところのある若頭にそっくりだ。
誰にでも臆することなく正面からぶつかり、その腹の底を分かち合おうとする。
父親たちの年頃になれば、今の若頭の生き写しになるのだろうことは想像に難くない。
それでは自分はどうなのだ。
考えながらぬるい暖房が煙草の煙をかき回す喫煙席に通される。
そそくさと席についた成実はぼんやりと立っている政宗には構わずメニューを広げた。
「なあ、お前何をそんなに考え込んでんの?気持ち悪い。」
「一言余計なんだよお前は。」
政宗は椅子を引いて考えつかれた体をどさりとその上に落ち着けた。
成実が開いているメニューを指先で引き寄せてたらこスパゲッティと言った。
それを聞くなり呼び鈴を鳴らした成実は注文を終えるとそれだけで満足したかのようにソファの背もたれに体を預けてポケットから煙草を出す。
それに倣った政宗が咥える煙草の先にライターの火を寄せてやった成実は自分の煙草に火を点けるとライターを放り出して煙を吐き出した。
「で、悩み事って何。心優しい成実様が聞いてやるからここは政宗の奢りな。」
「相談料が安すぎて怖いな。」
「俺は良心的なんだよ。あ、でもついでにレポート手伝え。マクロ経済。」
「がめついじゃねえか。どの辺が良心的なんだよ。」
いつもなら噛み付く成実が今ばかりはおとなしく腕を組んで黙っている。
いいから話せということなのだろう。
ぽつぽつと政宗が幸村の話をする間に成実が待ちわびていたはずのハンバーグが運ばれて来る。
しかし、成実は手を付けないままで煙草を2本灰にし、冷めていくハンバーグをじっと見つめていた。
昼間の話を終えた政宗が食えよと促してフォークを渡してやるが成実は釈然としない顔でじっとテーブルの上を見つめるばかりだ。
そうしているうちに政宗のスパゲッティが到着し、そして初めて成実はフォークを掴んだ。
「で、その子に惚れちゃったと。」
「お前人の話聞いてたか?」
付け合わせのほうれん草を頬張りながら成実が言い、皿の中をフォークで混ぜていた政宗が呆れて返す。
店内はもう終電もなくなった時間だというのに人が溢れている。
仕事上がりのキャバクラ嬢が甲高い声で笑い、酔ったサラリーマンと、若い集団がそれぞれ先程まで行われていたであろう宴会の余韻を引き摺ってテンション高く喋る中で二人の存在が浮いている。
「それくらいしか思いつかねえよ。男にも女にもすぐ惚れちゃう軟派な政宗君の悩みなんて。」
大きく切り分けたハンバーグを口に詰め込みながら成実が答えた。
「親父がよく言ってるだろ、やったことの責任はちゃんと取れって。」
食べ物を目の前にしただけで空腹感はどこかへ行ってしまった。
それに、目の前でハンバーグと白飯を交互に頬張っては咀嚼の間もなく嚥下していく成実を見ていればこちらの方がお腹がいっぱいになる。
こんな食べ方をするからいつも綱元に叱られるのだ。
本当に学習できないバカ。
「それが何よ。もしかしてそのユキムラ君だっけ?の人生変えたとでも思ってんの?」
「少なくとも希望は失わせたし、予定は狂わせただろうな。」
「あのなあ政宗。ぐだぐだ考えてもしゃーねえよ。責任とろうにも連絡先もわかんねえんだろ?それにな、そんなこと言ってたら金輪際誰とも関われなくなるぞ。俺のレポートだってそうだろ?お前が手伝ったレポートで俺が単位落としたらお前はその責任も取るの?お人好しすぎて泣けて来るよ俺は。」
一息に喋ってまたハンバーグを口に押し込む。
それでも見苦しいと思わせない食べ方ができるのはすごいと思う。
自分の欲求を力一杯満たしながら、政宗のことにもきちんと向き合っている。
本当に器用なのかバカなのかがわからない。
「責任なんてのは、俺は好きじゃねえよ。親父さんは俺にもそう言う。でもな、結局他人の責任は他人の責任だ。少なくとも俺はお前が手伝ったレポートで単位落としてもお前に責任取れなんて言わねえよ。それにな、そいつだってお前の言ってたことが正しかったんだと思う日が必ず来る。きちんと返済できたとしても、あんなとこから金借りてたことがわかればまともな融資は受けられなくなるかもしれねえ。運が悪けりゃ使える間は売り専でオッサンに抱かれて、使えなくなったら汚い仕事させられてぼろぼろになってぽいされてる。下手するとバラされて売られるかもしれねえしな。お前はそうさせなかった。それで十分責任取ってる。お前はそいつをきちんと救った。それでいいんじゃねえのかよ。ホントめんどくせえわお前。」
成実の言うことは確かに正しかった。
政宗が彼を返した理由とも一致している。
それでも、どうしてもあの丸くなった背中を忘れられずにいる。
付け合わせのにんじんと一緒に最後の肉を頬張った成実は皿にフォークを放り出して椅子に凭れた。
「てゆーか政宗、早く食って早く帰ってレポートやんねえとマズい。だからとっとと食って。煙草も吸いてえし。」
「わかったから暫くおとなしくしてろ。煙草なら好きなだけ吸え。肺がんになっても吸ってろ。」
冷め切ったスパゲッティを口に運びながら言った政宗によしそれでいいと頷いた成実は歩いていたウェイトレスにコーヒを頼んで煙草に火を点けた。
うまそうに煙を吐き出した成実がテーブルに肘をついて、スパゲッティを胃に押し込む作業に必死な政宗の顔を覗き込む。
「で、その子お前のタイプだったわけ?」
スパゲッティを啜っていた政宗は盛大に噎せた。

End

責任の取り方なんて教わってない。

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