紅紫の戦装束に身を包んだ男は、残った一ツ眼に庭の片隅に打ち捨てられたようにひっそりと建つ蔵を映した。
縁側から足を下ろし、具足を着けていた指先が止まる。
美しく調えられた庭には些か不似合いな、冷たい空気を放つその蔵の中には、男が過去に収拾(という名目の略奪だったかも知れないが、)した世に名高い宝物が納められている。
しかし男は手に入れたそれらを愛でたことなど一度もないのであった。
手に入れるまでは、喉から手が出るほど渇望し、それを己のものとするためならば金も力も時間も惜しみなく費やした。
されど、いざ自分のものとなったそれらには、それまでの執着が嘘のように興味を失い、その宝物を愛でることもなく、ただ庭の片隅に設えられた蔵に並べるだけである。
何も残さないその収拾癖の原因を男はそれとなく知っている。
一国の主が嫡子として生まれた男は、求めればなんでも手に入った。
しかし、内気で臆病な少年が求めた安寧の日々だけは手に入れることが出来なかった。
初陣で華々しい勝利を飾った男はしかし、内心ひどく怯えていた。
温かな親の庇護と、ゆるぎない安寧は城の中だけなのだと、目に見えぬ何かがせせら笑う。
幼少期に片目を失い、それでも恐怖など感じる事なく生活していたのは城の中だったからであると、思い知った。
父から家督を継ぎ、国と日ノ本を知った男はそれでも安寧の日々だけを祈る。
それを手に入れるには己の厭う戦が着いて回るのがひどくおそろしかった。
無意味な収拾癖は、男にとって手に入れられないものなどないのだということを確認するための行為でしかない。
そうして手に入れたものを四国という箱庭に並べ、いつか安寧の日々をそこに並べることができるのだと、自分に言い聞かせたいが為のそれ。
それを知ってか知らずか、瀬戸海を挟んだ国の国主は、薄い唇を酷薄に歪める。
奪った宝を並べ立てるだけのままごとぞ、と。
繰り返した剣戟の合間に淡々と冷たい声が紡ぐ、的確すぎる言葉たちは、それでも決して男を嘲笑うことはなかった。
広すぎる中国の主は、男が求めた安寧を己の国に並べることで、その細い躯を凛と立たせている。
国の不変は彼を絶対不可侵のものとし、彼はその絶対不可侵の領域に安堵する。
それは、箱庭遊びに興じる子供となんら変わらない。










男の脳裏に先の戦での事がまざまざと蘇る。
厳島の社の中、物言わぬ屍に囲まれて交した刃で男は確信した。
中国の国主であるあの男と、己を繋ぐのは瀬戸内という広大な箱庭であると。
箱庭の中で、あたかも己が主であるかのように、ただ神の恣意に踊らされているのだということに。
「愚かな男よ、長曾我部。」
ひらりと男の突き出した得物を避けた中国の国主は、常の通り朱い唇で嗤った。
厳島の朱い鳥居を映した小さな唇から発せられる、すべてを見透かしたように底冷えした声は、男の耳朶を甘く蝕む。
白拍子のように華奢な体躯に似合わぬ大きな得物を舞うように振りかざした彼の瞳は何処までも無機質に男を捕らえていた。
「ハッ!あんただけには言われたくねぇな。」
ざらりと男の得物から繋がった太い鎖が床の木目を愛撫する。
嫌悪の色一つ浮かべない人形のようなおもてで彼は後に引いた得物を、肩を返して上から振り下ろした。
がきん、と重厚な音を立ててその一撃を受け止めた男は、その重さに一歩後へと足を引いた。
「我は貴様のくだらぬ遊びに付き合ってやるいとまなど持ち合わせてはおらぬ。」
「それはお互い様だろう?」
にやりと嫌らしく唇を裂いた男に、彼の能面がひび割れて嫌悪の色がまざまざと浮かび上がる。
あんたのそれは、と呟いた男は音もなく後ろへと身を翻した彼に向けて己の得物を振り上げた。
硬質な音とともにそれを右側へと薙いだ中国の主に、間を詰めた男の言葉が第二波として襲い掛かる。


「同族嫌悪、ってんだぜ?」


瞠目しつつも、戯れ事をと言いかけた唇は最後まで音を紡がなかった。
即座に体勢を立て直した男が更なる攻撃を繰り出し、そのちいさな体を追い詰めてゆく。
足元で社を洗う微かな波音がちいさな箱庭の中へ二人を誘う。
細い栗色のまなこが恐怖にかすむのを、男は残酷な気持ちで見つめた。
互いに目を背けてきた事実を白日に晒す快感と、秘密を失う心許なさが男の指先を僅かに震えさせた。
「知ってるか、」
問うた男の厚い手のひらから得物が滑り落ちる。
大仰な音を立てたそれを咎めるように広がった静寂が、波の音さえも消して知将の耳を痛みを伴って蝕んだ。
「あんたが後生大切にしてる中国と、俺の四国は、」
よくなめした皮の手袋が覆う男の指先が白磁の頬を滑る。
嫌悪に顔を背けようとめぐらせた視線は静止した空間を舐めた。
大袖の下、握り締めた得物の柄が汗に滑り、背けた耳朶を撫でる男の癖のある声が脳を揺さぶる。
「瀬戸海に繋がれた、一つの箱庭だ。」
そして俺たちは。続く言葉が静寂に反響するのを、男は確かに聞いた。


「この瀬戸内という箱庭を飾る一つの歯車だ。」










冷たい金属の具足に触れたままの指先がかじかむ。
男は思い出したように、その虚ろな隻眼に己の指先を映し、強く吹き抜ける風の中で立ち上がった。
肩にかけただけの上衣がばたばたと風になびく。
澄んだ空色を映す瞳が、喜色を帯びたことを誰も知らない。
傍らに置いてあった得物を肩に担ぎあげ、男は戦場へと向かう。
対するは中国の智将率いる毛利の軍である。
幾度となく続く毛利との戦は終わらない。
互いに終わらせる気がないからだということを男は知っている。
(そして敵の大将である毛利元就が、それを知っていることも。)
毛利と長曾我部の小競り合いは、ふたりの箱庭に永遠をもたらす一つの部品でしかない。
互いにはやくけりを着けたいと嘯き、互いを騙し合いながら、終わらない戦に偽りの永遠を見出だしたいだけの無意味なそれ。
繰り返し払われる犠牲は、傲慢な二人の国主の臆病な心を癒すための贄でしかない。
互いに別の箱庭に繋がれながら、己と同じ愚かな人間もいるのだと確認し、繋がることでささやかな安堵を得る。
それだけの、戦。


そう、もう偽りの永久など紡ぐだけ無駄と気付いた男は。



「終わらせる、か。」





End

終わり、そして紡ぐ始まり。

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