- 部活の練習を終え、防具を片付けているときに同級生にかけられた言葉に、幸村は自分が忘れ物をしたことに気付いた。
急いで着替えを済ませ、小走りに教室へ向かう。
もう時間も時間である。
教室に鍵がかかっていては二度手間になると考え、途中で寄った職員室に教室の鍵はなかった。
まだ誰かが教室に残っているのだろう。
試験前でもないのに珍しいことだと考えながら教室の扉を開けた。
音もなく開いた扉の向こうは、姿を隠そうとする太陽の最後の強い光と、それに浮かび上がる色濃い影が支配していた。
その教室の窓際、後ろから2番目の机に濃紺の制服の背中が突っ伏している。
幸村は踏み込んだ足を止めた。
誰かが突っ伏しているその机こそ幸村のもので、幸村が取りに来た忘れ物はその中にある。
きゅ、とリノリウムの床と上履きが音を立てる。
静かに近づくと、机に突っ伏しているのは政宗だった。
机の上に乗せた腕を枕に窓に顔を向けて眠っている。
顔に架かる長い前髪が濃い影を落とし、白い肌と相まってまるでよくできた人形のようだと幸村は感嘆の息を吐く。
さらりと流れる漆黒の髪は傷みなど見当たらず、エアコンの微かな風に揺れている。
いつ見てもあどけなく年相応な寝顔は幸村を安堵させる。
勉強もスポーツも人間関係も、澄ました顔で器用にこなす彼がときどきとても遠く感じてしまう。
スポーツこそ人並み以上にこなせる自分だが、それ以外は何をさせてもてんでダメである。
そんな腑甲斐ない自分の隣に居ることを望み、いつも暖かな愛情を持って包み込んでくれる彼が。
実は自分には想像もできないほど壮絶な痛みと闇を心に抱えているというのに、そんなことは微塵も感じさせず力強く自分を愛してくれるこの男が。
唯一、その脆さを隠す虚勢の仮面を脱ぐのが眠っている時だけのような気がして、幸村の胸を言い様のない寂寥が吹き抜ける。
徐々に黒さを増す影が政宗を連れて行ってしまうような気がして幸村は右手を伸ばす。
右目を覆う眼帯を留めている革紐をそっとなぞれば、政宗が小さく身じろいだ。
「…、ん」
「政宗殿、こんなところで寝ていては風邪を、…っ!」
突然伸びてきた手に腕を掴まれ、強く引かれる。
バランスを崩して前かがみに一歩踏み込んだ幸村の唇に、政宗のそれが重なった。
ちゅ、と可愛らしい音を立てて離れていったそれを目で追えば、気怠げに開かれる切れ長で鋭い視線と目が合う。
照れ臭さに俯き、身を固まらせる幸村を不敵な笑みを浮かべて数秒見つめた政宗は体を起こすと大きく伸びをした。
「ま、政宗殿!こ、こんなところでキス、など!」
「そう騒ぐなよhoney。誰も見ちゃいねぇ。」
しれっと言い放つ政宗にまだも抗議しようとした幸村に、政宗は思い出したように問い掛ける。
「で、なんでここに?」
突然問われて幸村は一瞬ぽかんと政宗を見つめたが、はっとしたように机に手をついて机にの中を覗き込んだ。
目的のものを探しながら幸村は説明する。
「明日までの生物の課題が出ていたのをすっかり忘れていて、教科書を机に入れたままだったのをさっき思い出したので、取りにきた。」
「へぇ。で、戻ってきたら俺がいた、と。」
机の中から生物の教科書を引っ張りだした幸村は軽く頷き、せっかくだから一緒に帰ろうという政宗の後をついて教室を出た。
外はすっかり日も落ち、名残の明かりが柔らかく射している。
政宗が眠っていたときに感じた不明瞭な不安は今はなく、それが他でもない政宗のおかげなのだと幸村は思う。
こうして二人並んで歩けることがとても幸せでありがたいことのように感じられる。
それを言葉にするのは些か恥ずかしく、けれど政宗に伝えたいとも思う。
だから、幸村は左側を歩く政宗の右手を握った。
じわりと伝わる熱が心地よく胸を満たす。
力強く握り返された手を放さぬようにしっかりととって駅までの道をゆっくりと歩いた。
「なあ、コンビニ寄ってこーぜ。喉乾いた。」
「そうでござるな。」
「幸村はアイスだろ?」
「今日はガツンとみかんの気分でござる。」
「じゃあ俺、ガリガリ君。」
End
現代だと幸村めちゃめちゃ難しい。
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