- 堅苦しい授業から解放された生徒たちがざわめく教室の片隅で、成実はぼんやりと窓の外で咲く桜の花を眺めていた。
新年度が始まり、真新しい制服に身を包んだ新入生たちが慣れない足取りで学校を出て行く列は初々しくもあり、うざったくもある。箒の柄に顎を載せた成実はあーあ、と物憂げに溜め息をついた。
「溜息ついてる暇があるならさっさと掃除しろよ。」
「だって、春だぜ?」
隣でせかせかと教室の掃除に励んでいた信親が呆れた声で言えば、成実は悪びれた様子もなく肩を竦めてみせ、再び窓の外に視線を移した。
つい1年前まで自分も同じく新入生だったことなど頭の片隅にもない成実は、隣ですっかり上級生の雰囲気を纏う信親をちらりと一瞥する。
「進級できたんだからいいだろ。」
「なにそれ、イヤミか?」
「春だ、なんておまえが言うからだろ。」
じゃま、と成実を退けて教室の隅を掃除する信親の後頭部が邪魔して外を見られなくなった成実は、しかたなくといった態で教室の掃除を再開した。
この特進クラスにおいてダントツの成績の良さを誇る信親と、争う余地もなくビリにいる成実の共通点と言えば同じ剣道部に所属していることくらいではあったが、飄々とした成実は、年ごろの男子高校生にしては硬派な信親を気に入っていた。
非の打ち所のない優等生である信親に気圧されて、なかなかクラスメイトに馴染めずにいたところを、同じ部活のよしみで声を掛けてみれば意外と砕けた雰囲気の信親は、劣等生(あくまでも特進クラスにおいての話ではあるが)の成実にも嫌な顔一つせずに接した。それから2年になる今日まで、なんとなく仲良くしているのだった。
「成実、おまえマジで掃除しろよ。」
「してるよ。」
「今日、鬼庭さん来るんだぞ。」
「げ。今ので俄然やる気失せた。」
おまえなぁ、と呆れ顔でがたがたと机を移動させている信親など素知らぬ振りで成実は持っていた箒を掃除用具入れに片付けた。
鬼庭さん、と言うのは二人が所属している剣道部の顧問であり、二人の担任である数学教師片倉の高校時代の友人である鬼庭綱元という大学院生のことだ。
ひょろりとした体躯の割には、顧問である片倉と高校時代は張り合う程の実力者で、時折ふらりと練習に顔を出しては生徒たちの相手をしたりしている変わり者だ。
なにかと成実と手合わせをしたがる鬼庭の意図が掴めない成実は鬼庭が苦手だった。
「ばーか。おまえがいないと鬼庭さんの相手、誰がやるんだよ?」
「1年にでもやらせとけ。」
「おい、1年がやめちまったら困る」
最後にたまったゴミをちりとりに取った信親がじとりと成実を睨んだが、成実は掃除はもう済んだとでも言うようにそそくさと荷物をまとめている。
成実が信親を置いて教室を出ようとしたので、信親は部室でな、と大声でその背中に声を掛けた。
誰があんな変質者の相手なんてしてやるもんかと成実が部室ではなく昇降口に向かって階段を下りると、玄関ホールに見慣れた背広の背中があった。担任の片倉のものである。
生活指導部の片倉がいる職員室は目と鼻の先である。それなのに今日、このタイミングでここにいるとは何事だと階段で嘆息した成実はしかし、見つかって練習をさぼれなくなるのは困る、とそろりとロッカーに向かった。
下校する生徒の群れに紛れて玄関ホールをロッカーの方へと何食わぬ顔で横切るが、見つかりはしないかと心臓がやかましく騒ぎ立てる。
「あ、伊達くん。」
もう少しでロッカーというところで後ろから声をかけられ、ぎくりと振り返れば、さっきは片倉の影に隠れて見えなかった綱元がにこりと微笑んでいる。
なんでこいつが、と奥歯を鳴らした成実などお構いなしに綱元は片倉の元を離れて成実に近づいてくる。仕方がなく成実はこんにちわ、と顔を引き攣らせて挨拶をした。
「部室、行かないんですか?」
見透かしたような綱元の言葉と視線に盛大に舌打ちをした成実を、当の綱元はにこにこと笑みを浮かべて成実より少し高いところにある小さな頭をこてんと傾げて見ている。
目が笑ってねぇんだよ、と引き攣らせた顔を俯けた成実は、調子が悪いから帰るとでも言えばいいか、とその顔に作りきれない笑顔を張り付けて視線をあげた。
しかし、今日の成実はどこまでも運がなかった。
昇降口への階段を下り切った信親の声が成実の思惑をすべて無にしていった。
「成実!!絶対さぼらせねぇからな!!」
「こりゃさぼれなくなっちゃいましたね。」
「あ、鬼庭さん。」
「ちょうど良かった。じゃ、3人で行きましょうか。」
全然良くねぇよ、と内心毒づいた成実はしかし、逃げ場を失い、綱元と信親にがっちりと脇を固められて渋々部室へ向かうのだった。
End
なんで俺ばかりこんな目に!
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