- めんどくさい、と口中に呟いた成実は広すぎるベッドの上で寝返りを打つ。
剥き出しの二の腕に掛かる白いシーツがずれてしなやかな肩が露になる。
バスルームから聞こえる微かな水音が不快だと思った。
狭い,ベッドだけが幅を利かせる明るい室内は籠った雄の臭いがした。
成実の暮らす狭い1Kにのクローゼット。
外側に吊るされた綱元の上等なスーツが酷く不釣り合いだと枕の上に肘をついた成実は思う。
別に好き合っているわけではない。
ただ、都合がいいのだ。随分と捻くれた成実の扱いをいっそ鬱陶しいほどに理解したあの男と夜を過ごすのが。
ひらひらとカーテンが暖房の風に舞う。窓の外は街灯だけが明るい。
がちゃりと開いた一つしかないドアの向こうに腰にタオルを巻いただけの綱元が現れた。
机の上に置いたままになっていた、きっともう酷くぬるいであろう缶ビールを飲み下す喉元を眺める。
まずそ、そう呟けば冷ややかな視線が一瞥をくれる。
綱元は美形だと成実は思っていた。
上背が目立つ細身に、小さな頭。手足も長く、顔だって整っている。
けれど女に縁がないのはきっとこの温度のない眸のせいだと成実は思っていた。
背中に冷や水を浴びせられるような感覚に陥るような、そんな冷たい真っ黒の眸。
反して薄い口角だけはいつも穏やかにあがったままなのが空恐ろしい。
「帰るのか?」
「ええ、明日も仕事ですから。」
着てきたシャツに腕を通し、振り向きもせずにいらえを寄越す男の余裕が成実の癇に障った。
いつだってこの男は余裕を見せつける。
むずがる自分はさも子供だと言いたげな冷ややかな目をして。
「終電ねぇよ?」
「駅前までいけばタクシーくらいいるでしょう。」
懐事情まで随分アンタは大人ですね、そう言いたいのを飲み込み、成実は細い腕を伸ばして机の上に置いてある煙草をとった。
それを横目で確認した綱元は『寝たばこはやめてくださいね』と釘を刺す。
うるせぇと返して火を点ける。
中途半端にスーツを着た綱元に煙草を奪われる。
本当に、不愉快な男だ。
成実は枕に突っ伏した。恨めしげに見上げた先の男は余裕綽々で成実から奪ったメンソールを吹かしている。
ばか、しね。そう枕に呟いて成実は枕を抱え直した。
くわえ煙草で着々とスーツを着る綱元はそんな成実の言葉など聞こえない風だ。
「それより、いつまでもそんな格好してると風邪引きますよ。」
「おまえに関係ない。このまま寝る。」
「シャワーくらい浴びてきたらどうですか。」
「後で浴びるから、いい。」
何があったわけではない。
でも、苛つくのだ。余裕綽々で自分以外にも何かを持っている彼が。
それでも時々こうして抱いてくれと懇願する己のなんと醜悪なことか。
「じゃあ、俺帰りますから。」
「二度と来んな。」
「あなたから呼んでおいて随分な言い草ですね。」
「厭なら来なきゃいいだろ。」
言って、唇を噛む。
胸郭がぎりぎりと圧迫されて居心地が悪くなった成実はコートを羽織る綱元に背を向けた。
奥歯を噛み締め、震えに耐える。
綱元が帰れば、またひとりに戻るのだ。
それだけのことが、今日は酷く堪えるのはなぜだろうか。
締め切りの近いレポートを残しているせいか。
握りしめた拳が、震える。
「成実さん、」
「……」
「今日は随分と冷たいんですね。」
「いつも、だろ」
微かに震えた声は、孤独への恐怖なんかじゃない。
熱の引いた体が冷めたせいだ。
言い訳をする、誰にともなく。
さらりと綱元の細い指が伸びた髪を梳いた。
そろそろ切りに行かなくては、見当違いのことを考えていないと帰らないでくれと縋り付いてしまいそうだった。
「ねえ、成実さん。」
「………。」
「帰って欲しくないならそう言ってくれればいいんですよ?」
また、そうやって見透かして。
震える体を丸めた成実の背中に凭れるように綱元はベッドに座る。
何時も成実が使っているシャンプーの臭いがした。
そのまま出勤しろ、少しだけ思った。
「いいんですか?ホントに帰っちゃって。」
「……、」
「随分情緒不安定みたいですけど。」
わかっていて聞いてくるなんて、本当にこの男はタチが悪いと思う。
それでも、この男しか縋る所のない自分は本当に救いようがない。
成実は振り返り、綱元の伸びた襟足を掴む。
引き寄せてキスをする。
綱元はまた冷ややかな眸で、笑った。
欠落しているのだ。自分も、この男も。
その欠落した何かを補い合って、そして、えぐれた傷を舐め合って。
「素直じゃないんですから。」
「うるせえ。」
無意味で、非生産的なこの関係しか縋り付くものがない。
ただそれだけのことだった。
理解すればどうということのないことだった。
それにただ絆されるまま縋り付けばいいだけのことだった。
愛だの恋だのは、二人にはまだ、必要ない。
コートを脱ぐ綱元の背中を、成実は先より少しだけ凪いだ気持ちで眺めた。
End
ますます綱元さんがわからない…
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