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| 長椅子に体を投げ出して
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- 店の片付けを終え、帳簿の整理も一段落着いたところで小十郎は帰宅のために戸締まりを確認する。
厨房の火の元を確認し、裏口の鍵を掛けたところで更衣室の電気が点けっ放しになっていることに気付く。
最後に出たやつに明日は説教だなと溜息を吐いて覗いた更衣室には予想外にもまだ人がいた。
華美すぎるきらいのある店内とは裏腹な狭い一室にロッカーと机、長椅子といくつかのパイプ椅子が置かれているだけの簡素な更衣室。
その壁ぎわに寄せて置かれている長椅子のうえにスーツ姿のままの男が倒れこんだように伸びている。
派手なオレンジ色の髪が強すぎるエアコンの風にふわふわと靡いた。
「オイ。帰るぞ。」
がん、と男が寝ている長椅子の足を蹴って言えば蒼白な顔面と恨めしげな視線が小十郎を向いた。
伝票を思い出し、原因はバカみたいに卸されていたシャンパンかと溜息を吐く。
苦手だと明言しているシャンパンをあんなに卸さずともこの男の容姿と接客であれば今月もナンバー3に名を連ねることなど容易いはずなのに。
この男は時々こうして潰れる寸前まで飲んで売り上げを上げようとする。
しかし、ラストの客をきちんと見送るまでは普通なのだ。
至って普通に接客し、至って普通に客を送り出しているものだからわざわざ咎める理由もない。
小十郎に不可解な心配だけを残すこの行為の裏に何があるのかなど、到底理解できそうになかった。
「起きろ。」
「無理…俺、今日店泊しまーす。」
「俺も巻き添えにしてか。」
いくらナンバープレーヤーとは言っても店の鍵を渡すわけにはいかない。
だってむりと駄々をこねる佐助を腕を組んで厳しい目をした小十郎が見下ろす。
蛍光灯の光に鮮やかな橙色が目に痛い。
「帰らんねぇってんなら道でカラスと添い寝するこったな。」
「だいひょーのオニ。サド。きちく。今日あんなに頑張った俺様にごほーびの一つもくれないなんてタンスの角に小指ぶつけろ!!」
言うだけ言って踵を返した小十郎の背中を不満げな声が追い掛けた。
それを無視して部屋を出た小十郎はカウンターに向かうとタクシーを一台呼び、厨房からミネラルウォーターのペットボトルをひったくって更衣室に戻る。
佐助は一応帰るつもりになったらしく、長椅子のに腰掛けて項垂れている。
手にしたペットボトルを渡すとへらりと笑って小十郎を見上げた佐助はペットボトルを突き返した。
「いらねぇのか?」
「開けて。」
はぁ、とわざとらしいほど大きな溜息を吐いた小十郎はぱき、と蓋を開けたペットボトルを再び佐助に差し出した。
あざーすと受け取った佐助はペットボトルに口をつけ、勢い良く水を嚥下する。
細い顎が徐々に上を向き、細い首筋に溢れた水が細く流れ落ちる。
よれたワイシャツの高い襟が情けなく、有名店のナンバー3にはとても見えないなと小十郎は上下する生白い喉仏を眺めた。
ひとしきり水を飲んだ佐助は小十郎がやったお古の腕時計をはめた左手で無造作に口を拭う。
ぽたりと細い指先からしずくが落ちるのから小十郎は視線を逸らした。
「気が済んだなら帰るぞ。タクシー待たせてんだ。」
「俺様もタクシーで帰ろー…」
ふらふらと立ち上がる佐助に肩を貸して更衣室を出る。
戸締まりを済ませると店の前にはすでにタクシーが待っていた。
戸締まりをする小十郎の背中をぼんやりと眺めていた佐助を扉を開けて待つタクシーに押し込み、自分も乗り込む。
佐助は面食らったように小十郎を見つめたが、小十郎は気にした様子もなく運転手に行き先を告げた。
「代表。相乗りしといて何なんすけど俺ン家逆方向。」
「めんどくせぇからウチ泊まってけ。着いたら起こしてやっから寝てろ。」
そう言って佐助の頭を肩に押しつける小十郎に抗うことなく頭を預けた佐助はふふと笑った。
何がおかしいのかと問えば眠たそうな声が答えた。
「代表って、飴と鞭の使い分けがぜつみょーだよね。俺様、代表のそーゆーとこ、すき。」
思わず佐助を引き剥がそうとした小十郎だったが、言うだけ言って眠ってしまったらしい佐助を引き剥がすことはおろか、文句を言うこともできずにその日一番の溜息を吐いた。
End
シャンパン卸しまくった理由はナンバー1の政宗の卓がシャンパン祭りだったからに決まってる。