- 別れたのは自分のせいだということを元親は理解していた。
元就が孤独を、元親がいなくなる未来を恐れていることを知りながらも、その少しの時間でさえ作ってやることができなかった。
別れを告げて来た元就の目は、いつもの強気なそれではなくて、縋るように揺れる迷子の子供のようなそれだった。
本当は元就が引き止めてほしがっていることもわかっていたが、そのときの元親には引き止めたあと、元就の求めることをしてやれる自信がなかった。
そんな自分の不甲斐なさに元就の部屋を出た元親が悔し涙を流したことを元就は知らないし、知らなくていいと元親は思っていた。
別れて、会わなくなってもうすぐ2年が経とうとしている。
それでもまだ元親は元就が忘れられなかった。
それなりに女とも男とも関係を持ったりはしたし、付き合う雰囲気にもなりはしたが、いざそのときになると元就の揺れた瞳が頭をよぎった。
今更会いに行くつもりなんてなかったのに、酒に煽られてこんなところまで来てしまった。
引き返そうかとも思ったが、元就が元気にしているかも気になる。
恋人がいるならそれでも構わない、ただ、少しだけ顔を見たい。そう思って元親は昔二人で手をつないで歩いた道をひとり歩き始めた。
元就の家は簡素な学生アパートだった。
三階の角部屋で、小さな窓から見える朝焼けが綺麗なんだと嬉しそうに語っていた。
(休みの日はぐうたら根て過ごす元親がその朝焼けを見ることはなかったけれど。)
階段を上がり、元就の部屋の扉の前に立つ。
もしかしたらもう違う人が住んでいるかもしれない、そんな考えが頭をよぎったが面倒臭がりの元就のことだ、卒業まではここに住んでいるだろうと自分に言い聞かせてインターフォンに指を伸ばす。
用心深い元就のことだから元親の姿を確認したら開けてくれないかもしれない。
そう思ってドアの覗き窓を塞いだ。
その指先が小さく震えていることに気付いて元親は苦笑したが、どうにでもなれ、とその小さなボタンを押した。
ぴんぽーんと軽い音がして周りの静寂が増したような気がした。
中からは返事も足音も聞こえない。
やっぱり寝ているか、と思ったがもう一度だけ鳴らしてみようと考えてもう一度ボタンを押す。
ぴんぽーん、とまた音がして次は微かな足音がした。
その足音に元親は体が強張るのを感じながら、なるべく自然に見えるような笑顔を作る。
「誰だ。時間を考えて、……」
「よお。」
不機嫌に扉を開けた元就は真夜中の訪問者を確認して言葉を詰まらせた。
一瞬にして凍り付いた元就の空気に元親は思わず苦笑した。
「何の用だ。」
今更、とでも言いた気な元就の冷たい視線を受け流して、元親はドアを掴んで強引にその玄関へと足を踏み入れる。
それを阻止しようと元就も負けじとドアノブを力一杯引くが、一回りも体格のいい元親に勝てる筈もなく、あっさりとその侵入を許してしまう。
追い出すのを諦めた元就は、元親から少しでも距離をとろうと部屋の奥へと後ずさる。
パタン、とドアが閉まって、元親は人の悪い笑みを浮かべた。
「何てこたぁねぇよ。ただ逢いたくなっただけだ。」
「我は貴様の顔など見たくもない。帰れ。」
そう言いながら勝手に靴を脱ぎ部屋へと上がり込む。
元就は元親の手の届かない距離を保とうとしてずるずると後ずさって行く。
そんなに嫌がらなくても、と元親は元就の態度に不快を露に舌打ちをした。
そんな元親に元就は体を固くする。
ドアを開けたときに入り込んだ風に乗って確かにアルコールの匂いがした。
随分と飲んで来たんだな、と思考の片隅で考えるが、元親の酒癖の悪さを思い出して自然と顔が引き攣った。
「別に取って喰おうってわけじゃねーんだから、そんなにビビるこたねぇだろ。」
「フン、貴様のことだ。どうせ碌でもないことを企んでおるのだろう?」
「ちげぇよ。元就が元気にしてるか気になっただけだよ。」
「今更そんなことを心配される覚えもない。早くここから出て行け。」
別れてからの2年間、連絡の一つも寄越さなかった男が今更何を言っているのか。
元就はギリ、とその薄い唇を噛んで俯いた。
じりじりと後ずさり続けたせいでふくらはぎに窓際に置いてあるソファーが当たる。
もう逃げられない、そう思ったときに元親が元就の前に立って動きを止めた。
そのまま俯いて元就に向き合って立っている元親を不振に思い、訝しむように見上げると、元親はへらりと困ったように笑った。
その不意打ちの表情に元就の鼓動が跳ねる。
「なあ、一回だけ…抱きしめさせてくんねぇか?」
「……ッ、」
切な気に寄せられた細い眉の下の普段は鋭い眼光を放つオリエンタルブルーの瞳が弱々しく細められるのを元就は息を詰めて見ていた。
またこの顔か、と元就は顔を顰める。
いつまでも元就の時間を止め続けている元親のその表情を元就はやるせない気持ちで見詰めていた。
何時もなら断わったからと言って勝手に伸びてくる腕が、このときだけは伸びでこない。
帰れ、とはねつけてしまい気持ちと、もう一度だけその腕の中に捕われたいという相反するを感情の狭間で元就は揺れる。
それを拒否と取ったのか、元親は諦めたようにハハ、と乾いた笑いを零した。
「別れた男に抱かせる体なんてねぇってか…」
「誰が、」
否と言った。
思わず口をついた言葉に聞いていた元親だけではなく、元就も瞠目した。
しまったとでも言いた気な雰囲気を纏って俯いた元就を元親はヘタクソな笑顔で見詰めて半歩、元就との距離を詰めた。
「それは良いって意味だと取っていいんだな?」
「……それが用件なのだろう?ならとっとと済ませて、早急にここから立ち去れ。」
ふい、とそらされた視線に苦笑しながら元親は元就の細い体に腕を伸ばした。
勢いに任せて元就の華奢な体をソファーに押し倒すように抱き締める。
衝撃に耐えきれずにソファーに腰掛けるような形で尻餅を付いた元就は瞠目したが、ふわりと被さってくる懐かしい元親の匂いに目を閉じてゆっくりと息を吐いた。
久々に感じる体温は記憶しているそれと違わず、さっきよりも濃く薫るアルコールの匂いにくらくらと目眩さえ覚える。
元親は強張った細い肩に顔を埋めて『ごめん。』と小さく呟く。
その謝罪がこうしていることに対するものなのか、過去の仕打ちに対してのことなのかは元就も、本人である元親もわからなかった。
ぎゅう、と背骨が軋む程抱き締められて、元就は元親の未練の程を推し量る。
馬鹿な男よ、と心の中で呟いて、それは自分もかと嘲笑の息を零す。
だらりと下ろしたままの腕を元親の広い背中にまわさないのは、未練と空気に絆されそうになる自分へのせめてもの抵抗だった。
End
好きじゃない、決してもう。好きなわけではないんだ。
※オリエンタルブルー