- 「今宵は月が美しゅうござるな。」
詠うように幸村が言えば政宗はそうだなと鷹揚に返し、手にした盃を傾けた。
白い喉があらわになり、燭台の光を淡く吸うのを幸村は蕩けた目で見つめ僅かにその唇を歪める。
二人の間に置かれた徳利はもう既に四本目を数えている。
普段そこまで酒を口にすることない幸村であったが、それもこれも美しい仲秋の月と振舞われる美酒のせいだと己に言い訳をしながら幸村もまた酒を舐める。
ふうわりと質の良い酒精の甘い香りが鼻腔に纏わり幸村の思考を朧にしていく。
胡坐を組んだ膝の上に載せた指先をそろりと政宗にほんの少し伸ばせばこちらは振り返らないままの政宗の指が重なる。
かち合うことのない視線が何処か初々しく、幸村の心の臓を甘く締め付けた。
吹き抜ける風は涼やかに政宗の濡羽色の髪を揺らし、眼帯に覆われない顔の左半分を露にする。
虫の声が遠い。
「呑みすぎたか?」
「毎夜晩酌されて困ると片倉殿が嘆いておられましたぞ。」
そうじゃねぇ、と苦笑をもらし政宗は絡めた指先をいたづらに弄んだ。
こそばゆいようでもどかしいその感触に引こうとした手首を強く留められて、幸村は漸く政宗の黒曜石の隻眼が己を映していることを知った。
「呑みすぎたのはアンタだろ?」
ふ、と斜め上から見下ろされる視線は尊大で、しかし柔らかなものだった。
そんなことはござらぬと返そうとした唇は音を紡ぐ前に閉じられた。
眉にかかる前髪をさらと梳かれ、この甘やかで蜜ごとめいた空気を壊すのも如何なものかと考えた幸村はそうかもしれませぬと素直に盃を畳に置いた。
風に揺れる清酒の水面に捕らわれた月が錦絵の中のようにゆるりと揺らめく美しさになど気付くはずもない幸村の視線はただ政宗のきりと鋭いまなこを見つめていた。
ゆるりと頭を肩に凭れさせ、中空に浮かぶ見事な月を眺める幸村の肩を抱き寄せた政宗は酒精で赤く染まるおぼこな目元に唇を落とす。
「そんなに月が恋しいか?かぐや姫。」
「まさか。某が帰るは鋭い三日月の元と決めております故。」
「Ha!言ってくれるじゃねぇか。」
声を立てて笑う政宗はそれはそれは楽しそうにその隻眼を細めた。
呑みすぎたのはお互い様のようであったが二人がそれに気付くことはない。
くつくつといつまでも笑いを噛み殺しきれずにいる政宗に幸村が不貞腐れたような視線を向ければ、宥めるように額に唇が落ちる。
遠くで馬が一声鳴いた。
「今すぐにでも迎えをやりたいところだが、生憎俺のかぐや姫はじゃじゃ馬でな。」
「飼い馴らす自信がないのであれば野に放てばよろしかろう。」
「そりゃあできねぇ相談だ。」
とうとうむくれた幸村がそのふっくらとした唇を尖らせ抗議する。
それさえも愛おしげに受け止めた政宗の指先が幸村の首の六文銭を鳴らし顎を捉えた。
重なった唇はどちらの物とも知れない酒精の香りが芳しく視界を揺らし、月よりも近く愛でるべきものを教えた。
唇を貪りながら畳の上に倒れこんだ二人に降り注ぐ月光は、今から熱をかわす二人には些か眩しく。
政宗は体を起こすと開け放してあった障子をぴしゃりと閉めた。
振り返った隻眼に確かに揺らぐ劣情を認めた幸村はここにきて初めて面映ゆさに視線をついと逸らした。
「満月が俺のかぐや姫に横恋慕しちゃあ困るんでな。」
恐ろしいほどに獰猛な欲を乗せた赤い舌をちらつかせながら言った政宗に視線を戻せぬまま幸村は呟く。
欲は身を滅ぼすと言います、と。
しかし神にも抗う竜はにべもなく言ってのけるのであった。
「アンタに殺されるならそれも本望だ。」
End
傲慢で欲深く、それでいて愛おしい。