- 墨を流したような闇夜だった。
薄く開けた障子からはただただ静寂だけが忍び込む。
風も虫も光も。
その一切が動きを止めたそこには一分の隙もなく闇だけが口を開ける。
元親に抱かれながら元就はその闇と同じ温度の栗色の瞳でそれを注視していた。
首だけを横に向け、畳に横たわる白い痩躯は糸の切れた操り人形のように淡々と華奢な腕を投げ出している。
まるで死人でも抱いているかのような錯覚に元親の凶暴な嗜虐が昏く嗤う。
散らばる栗毛を掴み、ぼんやりとしか像を結ばない琥珀の視線を搦め捕ればその頼りなさに背が慄く。
元親の隻眼が屍肉を漁る山犬のそれと同じ獰猛で緊張した色を宿し、簡単に手折れそうに頼りなく細い首に誘われるまま指を掛けた。
元就は魅せられたようにその眸の海に溺れた。
元就を包む海色は暖かくそして神々しく煌めき、纏わり付くように自由と酸素を奪う。
キリキリと痛む頭が酸欠を訴えたが元就は底から浮かび上がることを拒んだ。
喘いだ薄い唇は鬼の鋭い牙が覗く唇に塞がれ、ただ薄く酸素を逃しただけであった。
明滅する視界は水中から見る日輪とそれに照らされた気泡のように美しかった。
触れようと伸ばした手は鬼の爪に払い落とされ、その背中に落下する。
恨みを込めて短く切り揃えられた爪をその筋肉質な背にぎりと食い込ませればいっそう奪われる酸素。
溺死する恍惚に果てた元就の胎内に元親の精が生暖かく吐き出され、じわりとその身を蝕んだ。
意識は日の射さない水底へと波間を漂って沈む。
元親は意識を失い、死人と成り果てた元就を愛でるように見つめ、その肉のない頬を武骨な指先で撫でた。
元就の仮初めの死は元親を酷く安堵させた。
気まぐれで自分の策と家の為なら誰にでも追従し、死すらも厭わない他人にも己にも冷酷な智将が、唯一己の手中に収まる瞬間であった。
しかし元親は元就の死を恐れてもいた。
本当に元就が死んでしまったら、己は何を求め、何を信じればいいのかと。
手に入らぬ至高の宝物を仮初めでも手に入れる後昏い悦びと、それを手に入れて失う絶対的な絶望の狭間で元親もまた目を閉じた。
闇から吹き込む密度の高い凍えた静寂がそれを浮き彫りにしていった。
End
相反する狂気の暖かな虐殺。