見上げる月は丸く、そして冷ややかに。
成実はひとり縁側にだらし無く脚を投げ出していた。
中秋の名月を愛でるという名目で開かれた伊達軍の酒宴はまだ広間で続いていた。
しかし、成実はその喧噪を遠く聞きながら宴席からくすねてきた濁酒を手酌で舐めていた。
ぶらぶらと投げ出した裸足の足先を撫でる風はもう随分と冷たい。
仄青い月の光が満たす庭の闇に成実の白いくるぶしがふらふらと舞う。
政宗と揃いの簡素な木綿の小袖に鉄紺の袴をつけただけの恰好で成実は後ろに手を付いて白く澄んだ月を見上げる。
雲一つない闇を照らす小さな月は成実の心を酷くざわめかせた。
それはまるでしっかりと肌に根付いたかさぶたを剥がすような地味でいて確たる痛みに似て。
この世界の誰もが求め、しかし手の届かないそれは嘲笑うように煌々と輝く。
微かな苛立ちを感じた成実は瞼を下ろす。
途端包まれる闇色の優しさはぼんやりと脳を揺らし、濁酒の酒精が五感を柔らかに握り潰した。


「成実さん。」


握り潰された聴覚を擽る声に鷹揚に振り返った成実の左手が置いてあった杯を攫い、鮮やかな白が縁側を濡らした。
まったく、と笑った声が宴席へと慌ただしく向かう侍女を呼び止めて雑巾をと告げる。
後ろへ傾けていた体を起こした成実の薄膜の張ったような視界に呆れ顔の綱元が入り込み、精度を欠いた感覚が徐々に戻る。
静かな衣擦れの音が成実の背中を回り、右側に座す。
成実は濁酒に濡れた左の指先を舐めた。
朽ち葉色の袴の膝が己を向いて揃うのを成実は視界の端に捕らえ、ねぶっていた指を口から引き抜いた。
甘い酒精の香りと、綱元の着衣に焚き染められたきりとした香の狭間に成実は落下した。


「…悪い。」
「謝るなら俺じゃなくて片付ける侍女に謝ってくださいね。」


そう言ってさらりと成実の黒髪を撫でる指先が成実の感覚を震わせる。
零れた濁酒を侍女が片付ける間、さらさらと成実の潔癖に切り揃えられた毛先を弄んでいた指先は侍女の足音と共に去っていった。
くるくると水流に回るはなびらのように意識が脈絡なく浮遊するのは酒のせいか、はたまた。
成実はこてんと綱元の膝の上に頭を転がした。
つややかな椿の青葉に反射する月光に眩暈さえ感じながら成実は縁側に下ろしたままになっている足を揺らす。
ぱたぱたと袴が鳴る度に成実の白く形の良いくるぶしが見え隠れするのを綱元は目を細めて眺めていた。


「…俺の事なんて気にしなくてよかったのに。」


ぽつりと漏らした成実は言葉とは裏腹に綱元の膝に鼻先を擦りつけた。
綱元は成実をさせたいようにさせながら丸い月を目を細めて見上げる。
明るい光は庭の隅々を隈なく照らし、されど落ちる影の色を濃くする。


「今日はかくれんぼには向きませんよ。」


ぽす、と青光りする漆黒の髪に手の平を落とした綱元が言えば成実もそうだなと応えた。
濃い影を拭う指先は未だ見つからない。


End

俺じゃあ力不足な事は痛いほど理解しているけれど。

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