- 賓客、というものはこうも暇でいいのか。
そう思いながら長曾我部はもうずいぶんと見慣れた感のある重厚な造りの天井を見上げていた。
安っぽい本国の官舎の木目は幽霊でも出そうなおどろおどろしい雰囲気をかもしているのに対して、ここの天井の木目には幾重にもニスが塗り込まれている。
合同演習を終えてしまえば通常の業務も、本国からの任務も持たない帝国軍の面々はただ時間を持て余すばかりだった。
真田は自分の隊の面々をつれて再び訓練に精を出しているし、抜け目ない片倉は視察という名目で船に戻るための隙を探しに街へ出ている。
一人きりのがらんとした室内には暖かな陽光が満ちている。昼寝でもしたい気分だ。
ベッドに仰向けに転がって頭の下に両手をつっこんだ長曾我部は先程の演習の時に片倉と話したことを反芻する。
あのとき長曾我部は『人質』と言う安易な言葉で現状を表現したが、その音は長曾我部が伝えたかったニュアンスとしてはほど遠いものだった。
片倉は現状を脱することに必死なようだが、長曾我部はもっと不穏なものがこの後ろにあると考えている。
『人質』よりは『生け贄』の方がニュアンス的には近かったかもしれない。小さく生け贄と呟いた長曾我部は片方しかない視界を閉ざした。
そもそも圧倒的な軍事力を誇るこの国が、長曾我部たちを人質にしてまで本国からの攻撃を回避する必要がない。
どちらかと言えば伊達だの毛利だのが本国に繋がれている方が人質としての正しい役割を果たすだろう。
それに、たかが大佐クラスの男が二人である。大佐にもなれば軍部のヒエラルキーにおいてそれなりの地位を表すが、人質としての効力を発揮するほど重要なポストでもない。
圧倒的な戦闘スキルといずれは参謀にとの呼び声の高い片倉、大将の愛弟子と言われている真田の両名はまだわかる。しかし自分はただのボンクラ大佐だ。肩書きばかりが先走っている無能だと長曾我部は自負している。
今までも部隊が壊滅するような危機に直面しながらもどうにか部下を殺すことも自分が死ぬこともなく生きながらえて来れているのは、生来の臆病な性格とどうしようもなくなる前に何事かに気付くことができる第六感めいたものによるところが大きい。
激戦の最前線から最低限の死傷者で帰還する部隊として精鋭だと賞賛されることが何度かあり、気がつけば大佐と言う階級まで手に入れてしまった。
長曾我部にとって大佐という肩書きはその程度のものだった。
昇進のたびに増える、護らなくてはならないものにうんざりしていないと言えば嘘になる。しかし、そんなことに思い悩むのもばからしいと、自分にできることだけをしてきたつもりだ。
なにより、家族も友人も部下も、自分が大切にしているものを失うのが何よりも怖かった。自分が死んでしまうことよりもそれを恐怖している長曾我部には、命をかけてでも部下を友を生かすだけの理由がある。
長曾我部の一族の男は悉く軍人だった。長曾我部はもちろん、二人の弟も、父も、その父である祖父もだ。
幼いころの長曾我部は軍人という職業を嫌悪していた。体が弱く寝込みがちだった長曾我部はただ拗ねていただけなのかもしれないと今は思う。
軍人として歩む未来しか用意されていない一族に産まれておきながら、病弱に床に伏せる自分が軍人になれるはずなどないというあこがれの対極にある嫌悪とも言える。
こんな体では軍はもちろん、士官学校にさえも入れはしないと諦めていた長曾我部はますます根暗に部屋に引きこもりがちになったし、やんちゃな弟たちを疎んだこともあった。
しかし美しく優しい聡明な母だけは床に伏せる長曾我部の世話をしながら、いつかあなたもお父様のような素敵な男性になるのよ、と慈愛に満ちた笑顔で繰り返した。それはどこか神に捧げる祈りのような色を孕んでいたことをおぼろげに覚えている。
たしか、左目の視力を失った日もそうだった。大丈夫よ、と笑いながら祈っていた。
病弱な息子の将来を憂いていたのかもしれない。
しかし、それが吐き出しようのない不安や諦観を長曾我部の胸から少しだけでも取り去ってくれていたことも確かだ。いまでも母親が死ぬのが一番怖い。
そのころ、長曾我部が住んでいた近くでは大規模な内戦があった。同じ国に住むものどうしがささいな意見の食い違いで醜く争うのだ。
破壊的なテロも起こったし、小さな暴動など日常茶飯事のようなものだった。それが起これば昼夜問わずに父は堅い声で行ってくるとだけ告げて出て行くのだ。
それを見送る母の背中の頼りなさはきっと一生忘れることができないだろうと思う。
(今回の出張を告げて家を出た時の母はあの時と同じ空気を纏って扉の向こうの息子の背中を見送ったのだろうか。)
普段は優しい父の顔にその時ばかりは殺人者の暗い翳りがおちる。その顔で出て行く父はいつも、帰ってくると決まって母親をきつく抱き締めていた。
父や祖父の表情を観察するくらいしかすることのなかった幼い長曾我部が他人の機微に聡くなっていくのも当然の結果だったかもしれない。
海軍に入隊する頃には随分と人の考えが読めるようになっていたと思う。上官の恣意も、部下の願いも、長曾我部には手に取るようにわかってしまうのだ。それをつらいと思ったことはない。
わかるなら、それなりに策を用意できるからだ。
そんな物騒な地区に住んでいた長曾我部の周りには軍人の子供ばかりが集まっていたし、やはり軍人になるしか道はないのだろうと義務教育を終えると同時に士官学校へ進学した。
その頃には病弱だった体も幾らかは強くなっていた長曾我部はそれなりの成績で士官学校を卒業し、海軍将校へのエリートとしての道を歩き始める。
父や祖父のいる空軍への入隊を拒んだのは、母を悲しませた父へのささやかな当てつけだった。
二人の弟たちも例に漏れず士官学校へ進学し、今は空軍の少佐と海軍の中尉というポストについている。そのころは自分と同じくらいの階級だった父も、今や空軍の中将である。
ぼんやりと過去を思い出していた長曾我部はふと我に返った。
海軍がダメなら、空軍がある。
自宅へ連絡すれば空軍経由で海軍とコンタクトをとることも可能だ。うまく時間が合えば末っ子の親泰と直接話せるかもしれない。
しかし、どうやってことを伝えるかが問題だ。街から外線で自宅へ連絡することができたとしても、直接これを話すわけにはいかないだろう。
現に視察という名目で街へ出て行った片倉にはきっちり護衛だか見張りだかわからない下士官がくっついていった。
やっぱり船から、と考えた長曾我部はそこへ辿り着くまでの理由を考え出せず、意味不明なうめきを上げて寝返りを打った。視界に入った窓の外は相変わらず快晴だ。
遠くの演習場で見慣れた軍服が演習をしている。
「真田も連れて帰ってやらねぇと、なんだよなぁ。」
自分の部隊はもちろん、片倉も真田もひっくるめて、である。
考えるのも億劫になってきた長曾我部は目を閉じた。その網膜に残像が蘇る。そもそもこの残像を消し去りたくて難しいことを自ら進んで考えていたのだ。
細い毛利の腰を抱く伊達の腕。不意に寄った顔の距離がゼロセンチになる前に視線を逸らした。
血だらけの毛利を見つけた日に見たあの情痕を残した人物は。そう考えて、だからどうしたと考え改める。
いくら思い悩んだとろで、どう言う形であれここからいなくなる自分が毛利を救ってやることなどできない。差し出した手の中途半端を己が一番よく知っている。
日が落ちて暗くなり始めた視界に掌を翳した。
いつもと変わらない、無力な手だった。
自分にできることはせいぜい傷の手当をしてやることだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
それ以上を望めば、きっと毛利を更に傷つけることになるだろう。それ以下であることは、長曾我部の人間としての根底が許さなかった。
どだい、人を殺すこの手で誰かを救おうなどと考える方が間違っているのだ。
それでもあの男を守ってやりたいと思う自分の厚顔無恥具合にはほとほと愛想が尽きる。守れなかったものも数えきれないほどにあるくせに、また同じ過ちを犯そうとしている。いつになったら求めすぎることをやめるのだろうか。
そもそも毛利は救われたいと願っているのかさえもわからない。ただの独り善がりだ。そして偽善だとも思う。
完全に日が落ちたせいで室内は暗闇が鎮座している。
それでも少しだけ伸びた爪が無力感にひしがれた長曾我部の網膜を焼き続けていた。どうせなら両の目の視力を失ってしまいたかった。
「寝ておられたのですか?」
ぼんやりと少しだけ伸びた爪を眺めていた長曾我部の視界が突然明るくなり、扉の前に立つ真田がほうけていた。
いや、と体を起こしながら、長曾我部は払拭できない無力感を隠そうとして失敗した顔で笑った。真田の表情が曇る。
片倉との話の流れや状況から言っても真田には知らせないつもりなのだろう。長曾我部は憂いを引きはがすように立ち上がった。
「もう終わったのか?」
「随分暗くなってしまったので、今日はとりあえず。」
「そーか。明日は俺ンとこの連中もよろしく頼むわ。」
でも、と言い淀んだ真田の頭をがしがしと撫でる。そうしないと余計なことを口走りそうだった。
自分の無力に、この青年を巻き込んではいけない。
無力ならば無力なりに守れるものだけはきちんと守らなくてはいけないのだ。守れなかったものの顔が浮かぶ。
目を閉じてやり過ごした。
「メシ、行くぞ。」
「え…はっ!」
End
残酷な取捨選択だとは思う。その理由はまだ知らない。