- もう春先だというのに、明け方の街には雪が舞っていた。
舞うと言うよりは水分をはらんでぼたぼたと落ちてくるそれは店の前のアスファルトを凍らせている。
誰もいなくなった店内の照明を落として店を出た小十郎は、明けようとしない濃い灰色の空を見上げて白いため息を吐いた。
ぬるい暖房に慣れた指先が冷え、鍵を掛ける手が強張る。
夕方は冷たい雨だったそれが夜半に雪に変わり、おかげさまで二部の売り上げは散々だった。
手にしたビニール傘を開いて背を向けていた通りを振り返った小十郎は眉間にしわを寄せた。
向かいのコンビニの前に、見覚えのある派手な頭がしゃがみこんで、こちらをニヤニヤと見つめている。
小さく吐き出した息が白く濁り、風に掻き回されて消えて行った。
小十郎は気付かなかったことにして歩き出す。
数歩の距離の場所に小十郎が呼んだタクシーがハザードを焚いて待っている。
凍った地面のせいでいつもより進まない足に舌打ちをし、後ろから追いかけてくる足音から離れるように足を踏み出す。
近付く小十郎に気付いた運転手がドアを開けた。
暖かい車内に小十郎が乗り込むと同時に閉まりかけたドアを追ってきた男がつかんだ。
「この雪の中待ってたのにそれはないんじゃないの?」
ドアをつかんだまま社内の小十郎を覗き込む佐助に驚いた運転手が後部座席を振り返った。
「とっとと乗れ。」
佐助を見ないまま低い声で言った小十郎を奥へ押し込むようにして乗り込んだ佐助は、後部座席を振り返る運転手に「出して」と言って手を振った。
険悪なオーラを放つ小十郎の隣で、佐助はポキリと首を鳴らしてあくびを噛んでいる。
いつかと同じ、安っぽい石けんの匂いがした。
マンションのエントランスに付けたタクシーのドアが開くなり、佐助を蹴り出すように降ろした小十郎は財布から出した札を運転種に押し付けて釣りも受け取らずに車を降りた。
佐助はとうにエントランスを解錠してマンションの中へ入り込んでいる。
ポストを覗き、エレベーターホールへ向かう小十郎は苛立ち紛れに舌打ちをした。
2基あるエレベーターのうちの片方は既に小十郎の部屋がある階に止まっている。
もう片方のエレベーターに乗り込み、数枚のダイレクトメールを裏返しながら小十郎は不快感に苛まれた。
原因はわかっている。
開いた扉をすり抜けるようにエレベーターを降り、部屋の扉の前で煙草に火を点ける横顔を睨みつけた。
唇に茶色いフィルターを挟んだまま振り向いた顔が、勝ち誇って笑う。
苛立つ小十郎の革靴の踵が強く床を踏む。
「ねえ、早く開けてよ。」
一瞬踏みとどまった小十郎の足を急かすように、ゆっくりと煙を吐き出した佐助を乱暴にどけて鍵穴に鍵を差し込む。
よろめいた佐助の咥える煙草の先から細かい灰が雪のように散った。
扉を開けた小十郎は佐助の二の腕を掴んで投げるように玄関に押し込み、後ろ手に玄関の扉を閉めた。
暗く冷たい玄関に響くオートロックが下りる音に被さるように、小十郎が放り出したアタッシュケースと郵便物が床に落ちる音が響いた。
「テメェいい加減にしろよ。」
「危ないじゃん。火ィ点いてんのよ?」
「どう言うつもりか知らねえが許してやるほど俺は優しくねえぞ。」
互いの顔も見えぬ暗さの中で佐助の咥える煙草の先だけがオレンジ色に煌めいている。
靴を脱いだ小十郎は電気も点けずに部屋に上がり込み、玄関先に尻餅をつく佐助に跨がった。
佐助はまだ長い煙草を取り、ため息に煙を混ぜて吐き出し、少しだけ首を傾げて小十郎を見上げた。
「どう言うつもりなのかはこっちが聞きたいよ。もう俺たち付き合い出して1ヶ月経つんじゃない?その間なんにもなしってどう言うことよ?そりゃ俺だって枕の1回や2回したくもなるでしょ。俺様、代表ほどストイックじゃないのよ。」
「1回2回どころじゃねえだろうが。」
「そんなのもう覚えてないよ。それに、売上になってんだから結果オーライってやつでしょ。」
小十郎の体の下で靴を脱いだ佐助は拘束をすり抜けて立ち上がり、居間へと歩いて行く。
短い廊下の先で居間に灯りが点るのを眺めていた小十郎は投げ出した郵便物とアタッシュケースを持って立ち上がる。
枕営業を仕事だと言われれば小十郎には返す言葉もない。
過去、自分も通った道である。
佐助を責めることができる要素は何一つないが、わざわざホテルからこの部屋へ直行してくることもあるまいにと思ってしまう。
それがわざとだと気付いたのはここ最近のことである。
付き合って1ヶ月近く健全すぎるお付き合いに終始しているのは事実だが、小十郎もそれについて思うところがないわけではない。
それでも、仕方がないと言えば仕方がないことだった。
一部と二部の営業時間は店で過ごし、帰宅してからも伝票の整理をする小十郎の睡眠時間は佐助に比べれば断然短い。
そもそもが人間の正常な生活と逆転した生活なのだ。
休みの前日ともなれば遊ぶ気力もなく、帰宅するなりベッドに潜り込みたくなる小十郎の事情というものを察して欲しい。
そして1ヶ月に1回は訪れる給料計算の地獄がある。
仕事だけで手一杯であったところに、小十郎の無理を通したような形だとは言っても佐助の面倒まで見てやれる余裕があるはずもない。
居間のテーブルに荷物を放り出してコートを脱ぐ小十郎の背中に、ソファでくつろぐ佐助の柔らかな声がかかる。
「やっと妬いてくれたわけ?」
「仕事なんだろう?なら何も言うことはねえ。」
佐助を見もしない小十郎は脱いだコートを抱えて寝室へ入り、クローゼットを開けた。
居間から朝にしては少々うるさすぎるテレビの音が聞こえて来る。
着替えを出しながら、クローゼットの中で徐々に増殖する佐助の服を睨みつけた。
勝手に入り込んできて、何でもかんでもやかましく押し付けて行く男なのだ、あれは。
着替えながら口の中で呟く。
あれを手元に置いておきたいと少しでも考えた愚かな自分を殴りつけたい衝動をクローゼットの扉に押し付けてそれを乱暴に閉めた。
「代表、俺の着替えも取って。」
「テメェで取れ。その前に風呂入ってこい。それが嫌なら帰れ。」
台所でコーヒーを入れる小十郎が手元を見たままで言うと、佐助がソファから立ち上がった。
静かな足音が小十郎の背中に寄り、肩の辺りにオレンジ色の派手な頭が押し付けられる。
「ねえ、妬いてんなら妬いてるって言えばいいじゃん。」
「…今すぐ放り出されてえか?」
放り出すどころか殺されかねない低い声に、佐助は両手を上げながら後ずさった。
「わかった。シャワー浴びて来るから着替えだけ出しといてよ。」
諦めと苦笑を混ぜた声で言い、小十郎の返事は待たずに足音が遠ざかる。
脱衣所の扉が閉まる音にようやく顔を上げた小十郎は、コーヒーカップを持ち上げて背後に置いてある食器棚に凭れた。
中の食器が小さな音を立て、小十郎は参ったなと頭を抱える。
今までの恋愛では小十郎はいつも執着される側で、相手が嫉妬する理由の理解に苦しんでいたというのに、相手は客だとわかっていながらそれを許せずにいる。
これが嫉妬というものなのだろうか。
シンクに跳ねた水滴をぼんやりと眺めながら考えた。
あの日以降、佐助は順調に売上を伸ばして先月の売上はNo.2の元親に僅かに届かないところまで伸びた。
太い客を掴んだということと、それでもなお弛まぬ他の客へのそつのない接客のおかげだろう。
来月には店をやめるホストの引退イベントがある。
それを考えると佐助が元親を抜くのも時間の問題だ。
台所から居間へ移動した小十郎はアタッシュケースを開いて伝票の整理を始める。
同伴本数と指名本数を書き込み、売上の計算に移った小十郎は佐助の伝票に目を止めた。
毎回シャンパンを卸していくあの女だ。
チサトと名乗る女の職業は担当の佐助でさえ知らないという。
月に換算すれば佐助の売上の3分の1は彼女の支払いによるものだろう。
決して払えない額ではないが、それ以外にも佐助に何かと買い与えているところを見ると余力はまだある。
出所のわからない金ほど怖いものはない。
小十郎自身、プレイヤー時代にはそれと知らず客の女をソープに沈めたことがある。
複数のヤミ金で借りた金を小十郎に貢ぎ続け、気付けば首が回らなくなって彼女はソープ嬢となった。
AVにも出たと、彼女を沈めた張本人である鬼庭から聞いた覚えがある。
彼女の支払いは小十郎の売上の中で然程大きな割合を占めていたわけではなかったこともあり、小十郎の仕事に影響することはなかったが今でも苦い思い出として胸の奥底でくすぶっている。
人の人生を変えるというのはどうも後味が悪い。
しかし、今のこの経済状況で月500万以上もの金を貸し続けるヤミ金など存在するのだろうか。
危ない金でなければいいが、とため息混じりに呟いて小十郎は電卓を叩いた。
居間と廊下を隔てる扉の向こうからぺたぺたとはだしの足音がして扉が開く。
長くなった前髪からぽたぽたと水を垂らした佐助が顔を出した。
「ちゃんと頭を拭け。服を着ろ。何回も言わせるんじゃねえよ。」
「これ以上ちゃんと拭けないから代表が拭いて。」
言いながら小十郎の隣に座った佐助がタオルを小十郎の膝の上に置いて頭を差し出した。
はやく、と首を傾げて頭を差し出す佐助からは湯と嗅ぎ慣れたボディーソープの匂いがしている。
「テメェはどんどん図々しくなるな。」
膝の上のタオルを派手な頭に被せてがしがしと拭いてやる。
決して丁寧とは言いがたいそれにも文句は言わず、佐助はむしろ満足げに笑った。
「仕方ないでしょうよ。どんどんアンタが好きになるんだから。四六時中くっついときたいくらい。」
「一日の半分以上一緒にいるやつが何言ってやがる。」
「もうだからいっそぐっちゃぐちゃに溶けて混ざっちゃえばいいよ。ねえ代表、セックスしよう。明日は休みだ。」
顔に垂れたタオルの端を持ち上げた佐助が笑った。
拭き足りない髪の毛から滴る雫が小十郎のスウェットに落ちてじわりと広がる。
パーカーの襟元に佐助の細い指が伸び、強く引かれて唇の中で前歯ががちりとぶつかり鈍い音を立てた。
小十郎の閉じた歯列の隙間から佐助の熱い舌が抉じ開けるように侵入する。
突然のことに全ての動きを止めた小十郎は目を閉じるのも忘れ、あぐらをかいた膝の上に乗り上がってくる佐助の伏せた睫毛を焦点の合わない視界に映していた。
肩を押されて床の上に転がされ、性急な指先がパーカーの裾から入り込んで脇腹を撫でる間も佐助の舌は好き勝手に口の中を掻き回している。
ようやく状況を把握した小十郎の手がパーカーの中を彷徨う佐助の腕を掴む。
唇を離し、小十郎の腹の上に座った佐助が決まり悪そうに俯いた顔を横に向けた。
小十郎は何も言わずに佐助をどけて立ち上がり、掴んだ腕を引いて佐助を立たせると寝室へ向った。
戸惑う佐助は何事か喋ろうと口をぱくぱくと動かしたが、結局言葉は出ないままだ。
「初めてが床の上じゃあんまりだろ。」
そう言って今朝抜け出したままの寝乱れたシーツの上に佐助を押し倒した小十郎は佐助の顔の両脇に手をついて覆い被さる。
「抱くか抱かれるかどっちだ?」
「もう代表かっこよすぎてたまんない。ずっと俺だけのものにしたい。ずっと閉じ込めて毎日セックスして薬中みたいに俺がいないと死ぬくらいに俺のこと好きになって。代表とヤれるならどっちでもいい。ってか俺のこと好きになってくれるならなんだってする。」
「テメェはいちいちうるせえな。それに誰が好きじゃねえって言った。好きでもねえ男とヤれるほど俺は酔狂じゃねえよ。」
もう黙ってろと佐助の舌先に囁いた小十郎は、また話し出そうとする佐助の唇を塞いだ。
舌が押し込まれ、口の中を掻き回される。
濡れた髪が冷えて首筋にかかるのさえ気にならないほど簡単に佐助の体は熱を帯びた。
ずっと、この瞬間だけを待ちわびていた。
のしかかる小十郎のスウェットの裾を佐助の指先が脱がせようと引っ張りあげるのに気付いた小十郎は唇を離し、佐助の腹の上でスウェットの上だけを脱いでベッドの下に落とした。
「急がなくても今更逃げやしねえよ。」
「絶対逃がさないから。一生。」
再び覆い被さりながら不敵に笑った小十郎の首に腕を回し、引き寄せながら言った佐助は自ら小十郎の唇に噛み付いた。
佐助からのキスに応えながら裸の薄い腰を撫でる指先が腰骨の窪みをなぞる。
もどかしい感覚にわずかに浮いた腰から履いたばかりの下着を引き抜いて、太腿を滑った指先が躊躇いなく佐助の自身を握り込んだ。
塞がれた喉がひくりと震え、唇が振り解かれる。
握り込まれ、爪を立てられて細い喉から悲鳴のように声が溢れた。
べったりとのしかかる厚い胸板を押し退けるようにして痺れる腕を動かした佐助が小十郎のスウェットのゴムを掴んで下着ごと引き摺り下ろそうともがく。
「もう、なんかどうでもいいから、っ…はやく。」
目の前数センチに迫った札束を掴めないような焦燥感が溢れて佐助の口をつく。
獰猛な眼をした小十郎が興醒めした顔で佐助を見下ろす。
「優しくしろって喚いてたのはテメェだろうが。」
「もうどうでもいい。好き。」
とけてしまいそうな恍惚を滲ませてへらりと笑った佐助に言われ、小十郎の下半身に血が集まる。
小さく舌打ちして知らねえからなと吐き捨てた小十郎は佐助の先走りで濡れた指先を押し込んだ。
感じたことのない感触に佐助が身体を強張らせる。
暫くして慣れた佐助がゆるゆると中を引っ掻くように指を動かしながら佐助の表情を伺っている小十郎の着衣を折り曲げた足と小十郎の体に邪魔される指先で器用に剥がし、猛った小十郎を愛撫し始めた。
一瞬眉間に皺を寄せた小十郎は、佐助のしたいようにさせながらも、緩み始めたところに挿し込む指の数を増やした。
不意に愛撫をやめて小十郎の首に腕を回した佐助が、引き寄せるようにして口付けた。
睫毛を伏せて小十郎の口の中をひとしきりかき回した佐助は唇を付けたまま薄く目を開けて湿った声で囁く。
「愛してるって言ってよ。嘘でもいい。」
黙ったまま離れた小十郎を追う佐助の視線が切なげに揺れ、下半身を走る衝撃に焦点を見失う。
締め付けられる痛みに小さく呻いた小十郎が再び胸を寄せ、耐えるようにシーツを握る佐助の指先を解くようにして握り込んだ。
じわじわと体内を侵されながら、佐助は乾いた音で喉を引き攣らせて喘ぐ。
息を詰めてはぎこちなく吐き出す佐助の手を離した小十郎が僅かに顔を歪めながら額にかかった佐助の前髪をどけ、慈しむように唇を寄せた。
額に口付けた唇は、離れてすぐに目尻に落ち、頬を辿って再び離れた。
佐助の緊張がほどけた一瞬で最奥まで押し入った小十郎はそのまま佐助の呼吸が穏やかになるのを待つ。
隙間なく触れる胸の奥で二人の鼓動が徐々に重なり、そしてまた離れていく。
はあ、と深く息を吐いた佐助の薄色の瞳が小十郎を映し、空いた手で小十郎の太い首を抱いた。
「…死にそう。」
「腹上死なんてやめとけ。」
「上じゃなくて下だけどね。」
「そんだけ無駄口叩けりゃもういいだろ。動くぞ。」
返答のために開いた佐助の口が声を出す前に、引いた腰を抉るように押し付けられて佐助は悲鳴のような声を上げた。
シーツの上を暴れる佐助の手首を捕らえた小十郎の手のひらがベッドに押さえつけるようにして佐助をそこに縫い留める。
容赦ない律動に喘ぐ佐助は暴れるようにして小十郎の手から逃れた腕で小十郎の頭を胸に抱いた。
幸せなはずなのになぜか苦しい。
手に入れたと思った男は幻のようで、今にもこの腕の中から消えてしまいそうだと思う。
きっちりと整ったままの黒髪に指を入れ、ぐしゃぐしゃと掻き乱すようにその頭を離すまいと抱き寄せる。
「ぁ、ねえ…、っ、すき。」
煩さそうに頭を振って佐助の腕から抜け出した小十郎は、わずかに呼吸を乱しながら佐助の最奥を強く蹂躙した。
途端に逸らされる薄い胸板の下に逞しい腕が滑り込み、背骨が軋むほど強く抱き締められる。
すき。あいしてる。ねえ、すき。すてないで。
切れ切れの喘ぎの合間に紡がれる譫言のような愛の言葉に眉根を寄せた小十郎は、うるせえよと呟いて佐助の薄い唇を塞いだ。
体内を侵す熱と同じ動きで口内を暴れる舌先に翻弄されながら、熱に浮かされる佐助の細い脚が引き攣った。
力なく頭を振って離れた佐助の唇の端から透明なよだれが伝い、『もうだめ、イく』と細い声が告げた。
激しく動く小十郎の腹の下で佐助の熱が弾けて、ぬるむ感触が広がった。
快感に小さく体を震わせる佐助の目尻から零れ落ちる涙を見つめていた小十郎も佐助の体内へと熱を放つ。
佐助の胸の上に顔を伏せる小十郎の頭を抱き寄せて、佐助は掠れる声で好きだよと呟いた。
太い溜め息を吐いて顔を上げた小十郎の腕が佐助の体の下から抜け、溢れた涙の筋を乱暴に拭われる。
「泣く程よかったか?」
目を伏せて小さく首を振った佐助の唇に音を立ててキスをした小十郎が佐助の上から隣へと転がるようにして移動する。
帰宅したときに降っていた冬の名残の雪はもうやんだようだ。
半端に閉じたカーテンの隙間から漏れる光が白くベッドに落ちていた。
ベッドサイドのチェストの上からティッシュの箱を投げて寄越す小十郎の背中を見つめている佐助の胸の中で不安がさざ波のように広がっていく。
「代表は?よかった?俺のこと嫌になった?」
「はあ?」
佐助の精液がべっとりと付いた腹をティッシュで拭いていた小十郎が怪訝な声を上げて佐助を振り返る。
身動き一つせずに天井を見上げている佐助の薄い腹の上に新しいティッシュを乗せてやりながら、小十郎は小さくため息をついた。
「嫌になったら途中でやめてる。」
「じゃあ捨てないでね。」
「テメェの思考回路はどうなってんだ。」
呆れたように言葉を返す小十郎を横目で見た佐助は、まだぼんやりとする瞳を再び天井に向けて小さな声で呟いた。
「俺、代表がいなくなったら死ぬ。」
動こうとしない佐助の腹の上を拭う小十郎は佐助を見ないで問うた。
「なんなんだ急に。」
「わかんない。夢見てるみたいだ。目が覚めたら夢でしたってオチだったらどうしよう。」
佐助の腹を拭いたティッシュを丸めてゴミ箱に投げ込んだ小十郎が佐助の隣に寝そべって佐助の細い肩を抱き寄せた。
「夢だったら俺も困る。だからもう寝ろ。疲れてんだろ。」
うん、と小さく答えた佐助は小十郎の胸に擦り寄って体を丸めた。
「おやすみ。」
「ああ。」
曖昧に答えた小十郎は足元に蹴り飛ばされた布団を脚と手で引き上げながら小さくため息を吐いた。
好きでもない相手に幾度も吐き出した愛の言葉は、小十郎の中で重みを失っている。
ねだられても言葉にできないのはその軽さに自分自身が耐えられないからだ。
誰にでも言っているのだと思われるのが嫌だった。
自分の生き方のせいだと理解していても、それは佐助も同じことだと言い訳をしても、その事実が変わることはない。
佐助が思っているより佐助のことを好きだが、言葉にして疑われるのは耐えられそうにない。
こうしてはぐらかせているうちはまだいい。
はぐらかせなくなったらどうする?
自問して見つからない答えに絶望する。
目を閉じてすぐに眠りに落ちた佐助の派手な髪を梳きながら、愛してると呟いてみる。
羽根のような軽さでぬるい空気に霧散したその言葉の軽さに胸が痛んだ。
自分も疲れているのだと言い聞かせ、小十郎は目を閉じた。
End
重みを失った言葉。