- 3月も末になると店の中のメンツにも変化が出る。
今年も数人の学生アルバイトが辞めていった。
数の少なくなったホストの顔を眺めながら給料袋をテーブルの上に積む。
「今月もご苦労さん。今月がラストになるヤツが多かったが、残ったメンツは今まで通りやってくれ。そのうちまた賑やかになるだろうが、そのときは店全体で育てるつもりでやってくれ。新入りが入ってくると何かと揉め事が増えるが、ケツ持ち頼まなきゃならんようなことにだけはくれぐれもなるなよ。」
決して穏やかではない小十郎の言葉に、数人のホストの表情が引き締まる。
そのどれもがまだ入ってきて間もないホストばかりだ。
古株のホストたちは皆一様に顔を顰めた。
いつぞやの鬼庭のことでも思い出したのであろう。
その中で佐助だけがぼんやりと煙草をふかしている。
あれほどご執心だったナンバー争いの結果が出る日だというのに、どう言うつもりなのだろうかとは小十郎も思わない。
近頃の佐助はどこか様子がおかしい。
営業中はいつもと変わらない。店を捌けてからの行動が今までとは決定的に違いすぎる。
アフターに行こうが、そのまま捌けようが必ずと言っていいほど小十郎のマンションに入り浸っていた男が、ぱったりと姿を見せなくなった。
週末にそれとなく来るのかと尋ねても曖昧な返事をするだけで、結局は来なかった。
自分の行動に心当たりは一つもないが、突然恋人が出来たホストの心境としてはわからなくもない。
抜け殻のように灰が長くなった煙草を咥える佐助の横顔を視界に収めて胸のポケットに刺したボールペンを抜いた。
「給料渡すぞ。No.1、政宗。売上1850万。」
鷹揚に座っていたソファから立ち上がる政宗に分厚い給料袋とボールペンを手渡す。
政宗がサインをし終わるのを待って書類に目を落とす。
そこにずらりと書かれたホストの名前、上から2番目にいる男の名がとうとう変わった。
「No.2、佐助、売上1680万。」
呆然と天井を見つめているだけの佐助に届くように少しだけ大きな声で告げる。
一瞬静まり返ったホールがざわめき始めても佐助は動かなかった。
佐助、と小十郎が呼ぶとぴくりと華奢な肩を震わせて長くなった灰を膝の上に落とした。
ゆっくりと周囲を見回し、ようやく状況を理解したらしい佐助がゆっくりと小十郎の前に立つ。
「よくやった。来月もがんばれよ。」
「え、なに。何が?」
「テメェが今月はNo.2だ。人の話はちゃんと聞け。」
「あ、え。そうなんだ。まあ俺様だしね。」
ゆっくりとサインをする佐助は待たずに次の名前を読み上げる。
締め日のナンバー争いを思えば元親もよく頑張ったものだとは思うが、佐助の引きが強すぎた。
チサトがエースとなって以来、順調すぎるほど順調に売上を伸ばす佐助の勢いには到底勝てなかったというところか。
分厚い給料袋を持って移動する佐助を見つめるホストたちの視線が畏怖に満ちている。
佐助が入ってからの1年と少しの間、ナンバーを動かすのはいつも佐助だった。
最初はNo.3にいた元就を抜き、今回は1年以上不動であったNo.2を陥落させた。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いの佐助が政宗を抜く日が来るかもしれないと、この場にいる誰もが思っただろう。
しかし、陥落させられた元親は、咎める小十郎に『佐助がんばってるしなあ』と曖昧に笑ってみせるだけだった。
その返事を聞いて小十郎は少し胸を撫で下ろす。
このナンバーの変動で佐助に対する評価が上がったが、それを引き摺り落とそうとする動きは出なさそうだ。
ナンバー争いの末の揉め事は、結局どちらかが辞めることでしか解決しない場合が多い。
佐助はもちろんだが、元親も店にとっては大切な人材である。どちらも失いたくないというのが本音だ。
渡す給料袋の厚みが徐々に薄くなり、最後の一人に渡し終えた小十郎がカウンターへと引き上げる。
その時に横目で盗み見た、賑やかなホールで後輩ホストから賞賛の言葉を受け取る佐助の表情は、小十郎が思っていたよりも凪いでいた。
もっと喜ぶものだとばかり思っていた。
それとも、あくまでも目標は小十郎の2000万で、No.2程度では喜べないということなのか。
営業中にも時折見せる佐助の空白の表情が気にかかる。
シフト表を手に更衣室へ向かう小十郎は小さく溜め息を吐いた。
佐助が更衣室に戻ると、もう数人のホストしか残っていなかった。
シフトの希望を出すのは大体が学生アルバイトのメンツだ。
授業の予定が変わる時期でも、シフトの希望を出すメンツは然程変わらない。
最後の一人になるまでロッカーに凭れて煙草を吸っていた佐助は、更衣室を出て行く元就に軽く手を挙げて小十郎の向かいにパイプ椅子を引き摺っていって座る。
顔を上げた小十郎の表情がなんとも言えない気まずさを訴えていた。
「月曜日にお休みが欲しいでーす。」
「知ってる。出掛けるのか?」
「うん。地元顔出してくる。」
シフト表に×印を書き込む小十郎の手元を覗き込んでいた佐助は短くなった煙草を消し、机に頬杖をついた。
「代表、俺No.2なの?」
「ああ。写真は明日の営業前に入れ替えとく。なんなら新しい宣材撮ってくるか?」
「どうでもいいや、そんなの。」
冗談めかして言う小十郎に、やる気なく答えた佐助はそのままズルズルと机に顔を伏せた。
「ねえ、代表。」
「あ?」
「セックスしたい。ご褒美にお泊まりもしたい。」
小十郎の顔を見ないまま呟く佐助のつむじを眉間に皺を寄せて見つめていた小十郎はボールペンを胸のポケットに戻して溜め息を吐いた。
ちょっと待ってろと告げてシフト表を手に更衣室を出た小十郎は、カウンターで二部の準備をしていたボーイにそれを手渡しながら面談してくると告げて更衣室に戻る。
更衣室の中では佐助が先程と同じ格好のままで伸びていた。
「このあとの予定は?」
「帰って風呂入って寝る。」
「ちょっと付き合え。」
そう言って更衣室の鍵をかけた小十郎は内ポケットから出した煙草に火を点けながら元いた椅子にどさりと座った。
「セックスもお泊まりも好きなようにすりゃあいいが、それをしないのはテメェだろうが。」
「そうだよね。ごめん。」
「謝るなら俺ン家に帰って寝てろ。帰ったら好きなだけやってやる。」
「それが出来るなら俺だってそうしたいよ。」
「出来ない理由なんて仕事以外にねえだろうが。」
「それがあるんだよねー。」
ゆっくりと体を起こした佐助が小十郎の咥える煙草を取り上げて一口吸いつける。
気怠げな表情のままで小十郎を見つめた佐助は困ったようにヘラリと笑って口を開く。
「どうもおかしな人たちに目ぇつけられてるっぽいんだよねえ。」
「おかしな人?」
「俺様の住んでるアパートにはおおよそ縁のなさそうなフルスモークの高級車とか、代表の家のあたりには似合わない派手な柄シャツにスーツ合わせちゃう人とか。」
「何かされたのか?」
「ううん。ただずーっと付け回されてる感じ。だから代表の家行きにくい。さすがに代表とセックスしてることがバレると仕事しにくい。」
話を聞きながら頭の中で繋がりそうなことを探してみるが一向に見つからない。
暫く考えるうちに、それもそのはずだと思い至る。
小十郎は佐助の店以外での交友関係など、何一つ知らないのだ。
「心当たりはねえのか?」
「借金もしてないし、そんな趣味の悪いお友達はいないし。っていうか友達なら声かけてくるでしょうよ。」
「興信所か?」
「興信所の人間があーんな目立つ格好して張り込んだり、俺ン家にフルスモのベンツ乗り付けたりしないでしょ。しかもあんなぴっかぴかの。って代表俺の家来たことないんだっけ?」
「ねえな。じゃあ相手はカタギじゃねえんだな。」
「そんな空気よ。」
机の上にべったりと右頬をつけたまま話す佐助の指先が灰皿を探し、小十郎の指が佐助の指に挟まれている煙草を取り戻す。
一口吸ってそれを灰皿に消した小十郎が煙を吐き出して佐助の頭を撫でた。
「ウチのケツ持ちに話してやるから、テメェも同席しろ。」
「ええー。やだ。ヤクザ怖い。」
「俺よりよっぽどカタギみてえな顔だ。」
「じゃあ大丈夫かも。代表よりイケメン?喰っちゃっていい?」
「俺に捨てられてそこの組長に沈められてもいいなら喰えよ。」
「何それ怖すぎる。でもこのままじゃ俺代表が足りなくて死ぬかもしれない。どうしよう、どの道俺死んじゃうじゃないの。」
どうしようと喚き始めた佐助の髪に突っ込んだ指で緩く派手な髪を引いて顔を上げさせる。
憔悴した印象が払拭しきれない色の白い顔が小十郎を見上げた。
「どうにかしてやるから今日から俺の家に帰ってろ。いいな。」
「なんで?代表巻き込まれるだけじゃん。そんなのやだ。」
「部屋の中で何やってるかまでバレやしねえよ。それにな、俺はこの店の代表だ。テメェじゃなくてもこの店のスタッフがそんなことになったら匿うくらいはするだろ?そんな簡単にバレるような色恋しかやってねえならホストなんて辞めることだな。」
吐き捨てるように言った小十郎の言葉に、佐助の表情がむっとする。
頭を振って小十郎の手を払った佐助が立ち上がり、脱いでいたジャケットを羽織る。
「簡単にバレるような色恋で1700万売り上げられると思わないでよね。俺はただ代表に迷惑かけたくなかっただけ。バカにすんなよ。」
「じゃあバレねえように家で言い訳考えとけ。今日は早めに切り上げて帰るから。」
背を向ける佐助に念を押すように言った小十郎は椅子の上で体を捻って佐助の細い肘を掴んだ。
出て行こうとしたところを引きとめられた佐助は振り向かないままで俯いた。
善かれと思ったことが伝わっていないのが腹立たしかった。
小十郎に犠牲を払わせる事を良しとしない佐助の想いの大きさはいつもこうして空回るばかりだ。
「それとな、会えなくて困るのはテメェだけじゃねえ。次からはもっと早く言え。」
照れたように目を伏せた佐助の肘を引いて立ち上がった小十郎は、佐助の体を腕の中に収め香水とアルコールの入り交じった匂いがする派手な髪に鼻先を埋めた。
「…代表も寂しかった?」
「落ち着かねえんだよ。」
「素直じゃないねえ。」
後ろから佐助を抱き締める腕を解き、扉の前で振り返った佐助は早く帰ってきてよと笑って更衣室を出て行った。
残された小十郎は安堵のため息を漏らす。
佐助が小十郎を避けていた原因が外的なもので良かったとつくづく思う。
原因がはっきりしている以上、現状を変えるにはどうすればいいのかもはっきりしている。
カウンターの方から来客を告げる声がした。
給料日前日は給料計算と現金の準備で朝が早いのは毎月のことである。
それを知っているボーイはカウンターで暇そうに伝票を捲りながらあくびを噛み殺している小十郎に帰っていいですよと告げた。
「悪いな。」
「いいえ。あとはいつも通りやっときますんで、ゆっくりしてください。」
小十郎に言ったボーイが卓に呼ばれて走って行くのを横目に、小十郎はアタッシュケースに一部の売り上げと伝票を詰めて店を出た。
話は早い方がいいかと思い、腕時計を見たがもう既に夜中である。
鬼庭に電話をするのは明日にしようと決めて駅前に並ぶタクシーに乗り込んだ。
ともすれば眠ってしまいそうになる微かな振動に何度か頭を振りながら眠気に耐える。
佐助の事もあって気付かぬ疲労を溜め込んだようだと自覚する頃にタクシーはマンションの前に停車した。
釣りを受け取った小十郎はタクシーを降り、ぐるりと周囲を見渡す。
マンションの敷地内に設えられた灯りがぼんやりと照らすゴミ置き場の方に人影がある。
まだ冷たさを残す空気に、ぼんやりする頭を振って人影に目を凝らした。
影になってよく見えないが、佐助の言っていた「おおよそこの場には似つかわしくない派手な柄シャツの男」である事は間違いなさそうである。
エントランスに向かいながら男のジャケットの襟を確かめるが、そこには何もついていない。
カタギでないことはすぐにわかるが、バッジがないと言うことは下っ端のチンピラと言うことなのか、それとも足が付かないように外しているのか。
エントランスを抜け、乗り込んだエレベーターの壁に体を預けながらポケットの中のキーケースを弄ぶ。
小十郎が佐助と同じ店の人間だと言う事に気付かれたとしても、最悪佐助もこのマンションに部屋を持っていることにすればいいだろう。
時として世の中にはドラマや小説の設定のようなことが起こるのだ。
だからこそドラマや小説が流行る、と小十郎は思っている。
静かに玄関の鍵を開け、暗い玄関で靴を脱ぐ。
居間にも灯りがないが、今電気を付けるのは得ではない。
部屋を特定されていては面倒だ。
キッチンの小さな灯りだけをつけ、荷物をテーブルの上に投げ出した小十郎は、暗い部屋の中でソファに体を投げ出してネクタイを解いた。
薄く開いたままになっている扉の向こうの寝室は物音一つしない。
下に佐助が言っていたのと同一人物と思しき男がいたことを思えば、佐助がここに帰ってきていることは間違いないだろうが、あまりに静かで不安になる。
早く帰って来いと言っていた癖に先に寝ているのかと思わなくもないが、首だけでいくら振り返ろうとも寝室から佐助が出てくる気配はない。
一服してから確かめるかとスーツのポケットを漁るが、箱ごと店に忘れてきたらしく、いくら探しても見つからなかった。
程よい暗さにタクシーを降りた時に振り払った眠気が再び小十郎を襲う。
のっそりと立ち上がった小十郎は佐助が脱ぎ散らかしたスラックスを蹴飛ばして寝室へ向かう。
開けた扉から差し込むキッチンの灯りが照らすベッドでの上が一人分膨らんでいるのを確認した小十郎は音を立てないように扉を閉めてクローゼットを開けた。
だらしなくスーツを脱ぎ散らかし、スウェットに着替えた小十郎はそっと佐助の隣に潜り込む。
睡眠の気怠さを乗せた佐助の長い睫毛が微かに動いて暗がりの中でもわかる薄いろの瞳がぼんやりと小十郎を映した。
「…おかえり。」
酒と寝起きに掠れた声でぼんやりと告げた佐助にただいまと返し、まだ肌寒い夜気に擦り寄る体を抱き込む。
位置が定まらずに暫くごそごそと動いていた佐助は、小十郎に背を向けて抱き込まれる形で落ち着いた。
伸びた襟足がかかるうなじに鼻先を埋め、小十郎も目蓋を閉じた。
暖かい体温と抱き締める手のひらに感じる静かな鼓動が優しく小十郎を眠りに誘う。
End
幸せな時間というのは短いもので。