蹴破るように事務所の扉を開けた成実は頭を下げる男たちを一瞥することもなく定位置であるデスクの椅子にどっかりと腰をおろした。
ざわめく男たちをぐるりと見回し、寄ってくる遠藤と原田を視線で制した成実は足をデスクの上に音を立てて投げ出した。
「チャラチャラしてんじゃねえぞお前ら。戸締りくらいしとけボケ。俺が今日豊臣に喧嘩売ってきたらお前ら一番に死ぬぞ。俺が吊るす前に東京湾に浮かべよ。」
いい終わると同時にスーツから煙草の箱を出した成実に、凍りついた空気の中で動いた遠藤が火を差し出した。
椅子の上だけでは飽き足らず、デスクにまで範囲を広げてふんぞり返る成実はその火に顔を寄せてぞんざいに煙を吐き出す。
「お父上にそっくりでしたよ。いや、驚いた。」
「嬉しくねえよ。何時に出る?」
紫煙が細く昇る煙草を指の間に挟み、戦慄する男たちなど目に入らない様子で問う。
夕方でいいでしょう、と遠藤が答え、横から原田が車はどうします?と口を挟む。
その声の後ろで事務所の扉が開き、綱元が顔を出した。
成実に怒鳴られた事もあってか、ピタリと揃った若い衆の声に目を丸くしながら後ろ手に扉を閉める綱元を、成実は振り向きもしなかった。
「歩いて行った方が早いんじゃねえのか。」
「時間も時間ですからね。」
言いながらチラリと綱元を見た原田だけが、綱元が無言でドアノブに手をかけて隣の部屋に消えるのを見た。
「じゃあ歩きでいいだろ。香典は?」
「先代とも相談して包んでありますよ。」
遠藤が応えるのに、ピクリと眉を寄せた成実が凄む視線で遠藤を睨んだ。
「先代に手間かけさせてんじゃねえ。」
「すみません。でも私らだけじゃあ決め兼ねましたんで。」
さほど悪びれた様子もなく頭を下げた遠藤が下から咎める視線を成実に向ける。
成実は小さく舌打ちしてフィルターを噛んで鼻を鳴らす。
そのタイミングで横から鉄の塊が差し出された。
「丸腰でなんてバカな事は言わないでくださいね。」
「死人の前だぞ。あいつらがぶっ放してくると思うか?」
受け取らない成実の前にごとりとそれを置いた綱元がため息混じりに叔父貴たちも持ってますよと言う。
「じゃあ要らねえ。片付けとけ。」
煙草を押し付けた灰皿を見つめる成実に、なおも詰め寄ろうとした綱元を原田が腕で遮るようにして止めた。
それに従って一歩ひいた綱元に拳銃を投げて渡した原田がとなりの部屋を顎で指す。
成実は舌打ちして腕を組んだ。
「行くとき起こしてくれ。寝る。」
これ以上話す事もないとばかりに目を閉じた成実の向かいで肩を竦めた遠藤が原田を見てから綱元の消えた扉へ視線を流す。
仕方がないとでも言いたげに頷いた原田は綱元の消えた扉を開けた。
薄暗い部屋の中で拳銃を片付けていた綱元が原田を振り返る。
「お前、そりゃあ坊に酷だろう。」
「自分の身も自分で守れなくては困る立場の人です。」
感情のない声が冷たく答えた。
原田はため息を一つ吐いてそばにあった机に凭れて煙草の箱を出し、それを手のひらで弄ぶ。
「あの人はな、それがどう言う物か、誰よりもよく知ってんだ。」
「それであの人が死ぬのは困る。成実さんは、この組を背負う人です。十代目の重みは、あの人にしか背負えない。」
持っていたボール紙の箱を棚に押し込んだ綱元が原田を真っ直ぐに見て言った。
綱元とて成実が拳銃を持ちたがらない理由は知らないわけではない。それを拒むだけの過去が彼にはある。
成実が丸腰ではない事は知っている。
あの小さな体を縛るホルスターに、掌からはみ出す大きさのバタフライナイフが入っているのは、寝室のチェストが開きっぱなしだった事から推測できた。
しかし、バタフライナイフで拳銃に対抗できる訳がない。
だから、酷な事だと知りながらも持たせようとしたのだ。
「綱元。あの人はな、十代目になるために生まれた人じゃねえ。その人に、いきなり十代目になれって言ったのは私らの都合だ。言われてすぐに、はいそうですかとなれるようなもんでもないことはお前もわかるだろ。あの人は今、十代目と引け目なく呼ばれるために足掻いてんだ。それを理解して支えてやれねえなら若頭はお前には荷が重い。今すぐ十代目に頭下げて破門にしてもらえ。お前まで焦ってちゃあ、坊が可哀想だ。」
綱元に冷たく、それでいてどっしりと言葉を告げた原田は箱の中から中身を抜き出して唇に咥えて部屋を出て行った。
残された綱元は暗い部屋の中で目を閉じて細い深呼吸を繰り返す。
埃っぽい部屋の中に綱元の呼気が湿度を撒いていく。
焦っているわけではないのだ、決して。
言い聞かせるように舌先に呟いて拳を握った。
焦っているわけではないというのは言い訳かもしれない。
あの朝、痛々しく包帯の巻かれた体で十代目を背負って立った成実に、裏切らないと誓った。
命をかけて守ると約束した。
成実は当初予定していた人事を覆して綱元を若頭にしたのだ。
その期待に応えられぬでは若頭としての矜恃などあったものではない。
そこまで考えて、人並みの冷静さを取り戻した綱元はこめかみを揉んだ。
自分の都合を押し付けただけだ。
口の中で呟いて息を吐き目を開ける。
離れようとする彼の頼りない肩をつかむには、関係という足場は曖昧すぎるような気がした。


そろそろ、と原田に声をかけられた成実はゆっくりと目蓋を押し上げた。
遮断されていた光が網膜を刺激するのを目を伏せてやり過ごし、机の上で組んでいた足首を解く。
あくびをしながら伸び、デスクの上に放り出したままになっている煙草の箱を開けて中身を一本抜き出し、気を抜けば行きたくないと言い出しそうになる唇に押し込むようにしてそれを咥えた。本格的に行くのが億劫になってきた。
くるりと椅子を回して綱元の姿を探すが見当たらない。
応接セットで煙草を燻らせる原田に綱元は?と問う。
「綱元ならついさっき出て行きましたよ。」
「どこ行ったの、アイツ。」
「さあ?集金にしちゃあちょっと時間が遅すぎますかね。」
のんびりと返す原田に手を挙げて舌打ちした成実は携帯を開いて綱元の番号を呼び出した。
普段なら数回の呼び出しで応える綱元が、今日はなかなか出ない。
2回留守電に切り替わり、3回目も留守電に切り替わる寸前でようやく出た。
「おい、どこいんだよ?」
『スーパーに向かってるところですけど。』
受話器の向こうで大通りを走る車のクラクションが尾を引いて流れて行く。
成実は顰めた眉間に更に皺を刻み、煙と共に言った。
「そっから政宗んとこ行って、知らせるだけ知らせとけ。どこで向こうさんの阿呆に会うか判ったもんじゃねえからな。必要ならウチのをつける。」
『伝えておきます。もう事務所でたんですか?』
「今から出る。お前は政宗に伝えたら家帰っておとなしくしてろ。」
『晩飯、必要なら早めに言ってくださいね。』
「俺はあんなとこでメシが食えるほど神経ぶっとくねえんだよ。」
吐き捨てた成実は一方的に電話を切って立ち上がった。
扉の前に綱元が掛けたコートを掴んでドアノブに手をかけて応接セットを振り返る。
慌てて立ち上がった原田がデスクの上に投げ出された成実のネクタイを掴む後ろでゆっくりと立ち上がった遠藤が行きますかと穏やかな声で言った。
「さっさと行ってさっさと終わらせるぞ。めんどくせえ。」


成実からの電話を切った綱元はタクシーを拾い、成実の従兄弟である政宗が住むマンションへと向かった。
組を抜けてから、政宗は成実と暮らしていた部屋を出た。
今は一緒に暮らす恋人が通う大学の近くで二人で暮らしている。
タクシーの車窓を流れる景色が徐々にオフィス街へと変わるのを眺めながら綱元は今頃豊臣の葬儀へ顔を出しているはずの成実を思った。
あそこの若頭は成実をどこか軽んじている。
この間の件でぐずぐずと文句を言われてはいないかと気を揉むが、自分がその原因を作った張本人であることを思うとなんとも言えない気分になる。
タクシーを降りて聳えるマンションを見上げた。
堅気の世界でしがらみなく生きる政宗を、成実は羨んでいるのだろうか。
エントランスのインターフォンを鳴らし、相手が出るのを待ちながら時計を見る。
19時を過ぎている。政宗は既に出勤しているかもしれないが、その場合は店に押し掛けるかと考える。
『はい。』
「龍正会若頭の鬼庭です。政宗さんはご在宅ですか?」
応えたのは政宗の恋人だった。
ややあって、どうぞという言葉と共にエントランスの自動扉が開く。
すみません、と告げてエントランスを抜けた。
エレベーターに乗り込み、二人の部屋の前で再びインターフォンを鳴らすとすぐに扉が開き、政宗が出迎えた。
シルバーのスーツに身を包んでいるところを見ると出勤前のようだ。
「なんかあったか?」
「ええ。少しお時間いただけますか?」
「とりあえず上がれよ。」
促されるままに部屋に上がり、コートも脱がないままダイニングのテーブルに座った。
「すみません、突然お邪魔して。お仕事ですか?」
「9時からだ、気にすんな。」
煙草を咥える政宗に火を差し出しながら問うと、煙草の先を寄せながら答えた。
キッチンからでてきた幸村が綱元にコーヒーを出した。
「何があった?」
「豊臣の跡目が殺されました。」
政宗の隣に腰を下ろした幸村が戸惑った視線で政宗を見つめた。
それを宥めるように短い髪をくしゃりと撫でた政宗がそれで?と先を促す。
「少し前に俺が豊臣の二次団体と揉めたもんで、うちが疑われてるようです。一応政宗さんにも知らせておけと十代目が。」
「こんなとこまでのこのこ来られてたまるかよ。」
「ここの場所までは割れてないでしょうが政宗さんの店には来るかもしれません。下のは見境がないですから。」
「俺はもう龍正会とは無関係だ。」
「こちらはそれを承知していますが、向こうはそんなことお構いなしでしょうね。もし必要ならうちのを付けるということですが、どうします?」
「いらねえよ。」
きっぱりと言い切った政宗の隣では幸村が不安そうに二人のやりとりを聞いている。
黙った綱元はそのまま自分の背中に手を回し、ベルトに挟んだ拳銃を抜いてテーブルの上に置いた。
「必要なら使ってください。」
幸村が息を呑み、政宗はあからさまに不機嫌な表情を浮かべて拳銃を掴むと綱元の方へ押しやった。
「いらねえよ。俺はもう一般人だ。いくら向こうの下っ端が馬鹿でもそれくらいは理解できる。話はそれだけなら帰れ。」
「わかりました。十代目には必要ないと伝えておきます。ですが、くれぐれもお気を付けて。」
拳銃を背中に戻して立ち上がった綱元の後ろを政宗が玄関まで見送る。
靴を履いて頭を下げた綱元に政宗が言った。
「成実、死なせるなよ。」
「ええ。たまには先代のとこ、顔出してあげてください。遠藤さんも寂しがってますから。」
「考えとく。」
政宗の返事に小さく笑った綱元はマンションを出てタクシーを拾った。
政宗は相変わらずというか、いい意味で社会に擦れておとなになったように思う。
組を抜けた頃は自分のことしか見えていなかった彼が、まさか成実を心配できるとは思っていなかった。
小十郎の元でうまくやっているのだろうと思う。
そうなると、朝行きたくないとだだをこねていた成実のことが気にかかる。
政宗が組を抜け、成実が組長となって3年。その間に変わったのは政宗だけではない。
それまで口を開けばわがままばかりだった成実は、筋を通すための建前だけを口にすることを必要とされ続けた。
その結果、本音と建前を随分うまく使い分けるようになったと思うが、建前に縛られて本音を口にすること自体が少なくなっただけだとも言えた。
四六時中一緒にいる綱元だからそう思うのか、周囲の人間もそう思っているのかは解らない。
そんな成実は、今頃豊臣会の跡目の葬儀で建前だけを張り付けた笑顔で全てをやり過ごしているのだろう。
彼の父親を殺せと命じた男の息子の不幸など、彼には悼めやしない。
神経を摩耗して帰ってくるであろう成実のために夕食を準備して待つことしかできない自分が不甲斐なくてもどかしい。
徐々にネオンの眩しさを増す窓の外を眺めながら夕飯は成実の好きなハンバーグにするかと小さく溜め息を吐いた。


今時この広さの平屋の日本家屋をこの場所に建てる様な物好きはここの組長くらいなものだろうなと成実は思った。
重厚な造りの正面の門には様々な組の名前が入った菊の花がこれでもかというほどに飾られている。
左の脇の下に感じる重みが徐々に増し、一歩ずつ屋敷への距離を詰める脚が止まりそうになるのを無理矢理動かした。
右に控える原田は父親の面影を彷彿とさせる表情で屋敷の前で弔問客を出迎える黒いスーツが不似合いな金髪の男を見つめ、左に控える遠藤は屋敷の周りにちらほらと見える警察関係者と思しき男たちをのんびりと数えている。
「さすが豊臣会の跡目の葬式ですね。結構お巡りが出てきてますよ。」
「弔問客に職質掛けてボディチェックすりゃ銃刀法違反の現行犯なのにな。」
頭一つ背の低い成実の耳元で遠藤が言うのに、前を向いたまま平然と応えた成実は弔問客の顔を確かめるようにまわりを見回して言う。
隣でそれを聞いていた原田が苦笑気味に口を挟んだ。
「滅多なこと言わんでくださいよ。私らもでしょう。」
「やべーな、ウチ貧乏だから出してやれねえかもしれねえ。出たかったら自腹な。」
「老い先短い我々に塀の向こうのマズいメシを食いながら死ねと?」
「心が痛むな。」
しれっと言い放った成実の脇の下のバタフライナイフを遠藤が小突き、しょっぴかれますよと笑った。
門の横でご苦労様ですと頭を下げる男の声は無視して屋敷の敷地へ足を踏み込む。
若い男たちが忙しそうに走り回るのを横目に見ながら受付に並ぶ遠藤を見送った。
記帳を済ませた遠藤が戻り、まだ短い焼香の列に並ぶ。
昔は何でも神式だったヤクザの世界も近頃では宗教を選ばない。
奥の部屋には神棚を祭りながら葬式は仏式ねえ、と全てを神式で執り行う龍正会の十代目は考えながら焼香を済ませた。
列から外れたところで龍正会の親父さんですねと見知らぬ男に声を掛けられる。
「そうだけど。」
「親父が奥でお待ちです。先日の件で…」
「ついでみたいになっちまって申し訳ないね。」
「いえ。」
短く応えた男の後について屋敷の奥へと進む。
足を進めるにつれて様々な思いが交錯し、成実の思考をぼんやりと霞ませた。
そんなことには気付かない男は庭に面した和室の障子を開け、お連れしましたと中に声を掛ける。
失礼しますとよそ行きの声で告げた成実を筆頭にして三人が入った部屋の上座には組長と若頭が座っている。
その後ろに成実と同年代と思しき男が二人控えてる。
若頭補佐、と以前に紹介されたような気がしなくもないが、思い出すことはできなかった。
「ご立派になられたな、十代目。」
正面に座った成実に、社交辞令のような冷たい声が掛けられる。
後ろに控えるように座る二人の動きを感じながら成実は畳に手をついて頭を下げた。
「この度は跡目のご不幸、お悔やみ申し上げます。」
ああ、と残念さのかけらも見せずに応えた組長の言葉を遮って若頭が声を上げた。
「今日はそんなことを話すためにここに呼んだわけじゃないよ。」
頭を下げたままの成実は相手から見えない顔を歪めた。
何度か会ったことがあるが、この男はことごとく成実の苛立ちのポイントをついてくる。
「先日の件、でしたか。」
顔をあげ、硬い微笑みを張り付けた成実が問う。
「うちの下っ端がご迷惑をおかけしたようだからね。本来ならこちらが出向いてお見舞いの一つでも包まなくちゃいけなかったんだけど。」
「いえ、うちのもやりすぎでしたので。ケガ人の数で言えばこちらがお見舞いを包まなきゃいけないところです。」
「今日は、その本人がいないようだけど?」
細いメタルフレームの奥で竹中の鋭い瞳が更に鋭く細められる。
連れてくるわけがないだろうと心の中で吐き捨てながら崩さない笑顔でそれに応える。
「謹慎させてます。若頭にもなってこの程度の諍いを平和に解決できないんじゃあ困りますんで。」
「そう。」
冷たい声が応える。
成実にとって、綱元の起こした不祥事は『この程度』でしかないのだ。
揉めた相手は豊臣の直系ではない。そこにわざわざ親分が首を突っ込むなという話である。
それをきいていた遠藤は原田の方を向いて眉を顰めた。
「できれば本人に直接頭を下げたいから、後日時間を取ってくれるかな?」
柔らかな言葉の割に硬い声が響く。
万に一つも綱元が懐柔されることはないとわかってはいても、この男と会わせるのだけはいやだと思った。
正座の膝の上に置いた拳を握る。
「もうこれで十分です。これ以上うちの出来損ないのために大所帯の親分さんの手を煩わせるわけにもいきませんし、鬼庭には私から伝えておきますので。」
頭を下げ、今日はこれでと告げて立ち上がる成実に倣って後ろの二人も立ち上がった。
障子に向かう成実の背中に竹中が声を掛けた。
「そういえば、事故のあった日、お宅の車らしいのを近くで見たって言うのがいてね。確かめておいてもらえるかな?」
足を止めて俯く成実の隣で原田が背中に手を回すのを視線で制し、聞いておきます、と応えた成実は自ら障子を開けて部屋を出た。
深い呼吸を繰り返しながら屋敷を出る成実の歩幅は広い。
一秒でも早くここから離れたかった。
成実の父親の命を、たったひとりの男の人生の数年間を塀の中で過ごすことと引き換えにチャラにした人間たちだ。
組長や若頭に恨みはあれど頭の悪そうな跡目になど興味もない。
それを成実の指示一つで殺したと疑われている。
自分たちが成実の父親の仇であることを忘れたかのような口ぶりで、それを告げる神経が理解できなかった。
屋敷を離れて一つ目の角を曲がったところで、遠藤が唐突に成実の手首を掴んだ。
「坊ちゃん、落ち着いてください。」
「…このまま帰る。後のことは適当にやってくれ。」
「原田に送らせますから、とりあえず事務所までは戻ってください。そんなあなたを放り出すほど私らは残酷じゃない。」
俯く成実の肩が震えるのを見つめながら遠藤は否を言わせない声で成実に言う。
「どんな俺だよ。むかついてんだよ。なんだよアイツら。あそこで俺に殺されたって文句も言えねえくせに!!やれの一言で、自分の手も汚さずに俺の親父を殺した男だぞ!!」
「そうです。ですがあんな輩のために坊ちゃんが手を汚す必要はない。何よりお父上はそんなこと望みはしませんよ。そうさせないために、一度事務所に戻って、原田に送らせますと言っているんです。」
「うっせえな!ンなこと俺にも解ってんだよ。でも、むかつくもんはむかつくんだよ。」
左手で覆った顔を俯けて答えた成実がぶっ殺してやると奥歯を噛み締めて言う。
坊、と原田が駄目押しのように呼びかけたが頑なな成実は首を縦には振らず、ひとりにしてくれと呻くように言った。
冬の残滓を孕んだ冷たい風が足を止める三人の間をかさかさと音を立てて吹き抜けていく。
遠くで救急車のサイレンが尾を引いて遠ざかっていった。
「わかりました。お気を付けて。」
遠藤が言いながらゆっくりと成実の手首を解放する。
力なく手を挙げて答えた成実の小さな背中に原田が身を乗り出したが、遠藤がそれを片手で遮った。
そのまま成実の背中が見えなくなるまで見送った遠藤に、原田がどうしてと噛み付いた。
「私らじゃ力不足だよ。」
「そんなことはわかってる。俺は追いかけるぞ。」
「好きにしろ。そのかわり坊ちゃんに気付かれるなよ。」
気付かれないだろうがな、と続けた遠藤はのんびりと踵を返してひとりで事務所の方へと歩き始める。
それを見ていた原田はその場で小さく舌打ちして、足早に成実の後を追った。

End

苦しむばかりで前へは進めない。

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