- 松永久秀と風魔小太郎の消えた大阪城の天守の瓦の上でその忍は振り返った。
刀が狙いだなんてよくわかったね、もしかして知り合いとか?
相変わらずよく回る口がどうでもいいことばかり並べ立てるのを右目は呆れ顔で見つめていた。
「さて。アンタ、独眼竜のとこに帰るんだろ?」
「ああ。」
崩れた壁を跨ぎ、荒れた室内に入ってくるその姿は些か間抜けで、右目は珍しいものを見た気分になるのだった。
そんな右目の様子には気付いた素振りも見せず、忍は服についた埃を叩いている。
忍の言葉に頷いた右目に一瞥もくれず、忍はそう、といらえを寄越した。
「アンタのお馬さんは城の裏手にある厩に繋がれてる。独眼竜は秀吉との戦に敗れて暫くは大人しくしてたようだけど…、今はアンタを取り戻すためにこっちに向かってるよ。」
早く合流してやんなよ。
久しぶりに聞いた忍の声はどこか淡々としていた。
甘えや心配など微塵も見せないそれが、実は裏返しであることを右目は知っている。
さりとて暴くことはしない。
きっと目の前の忍は今、それを暴かれることを良しとしないから。
今、忍と右目が優先させるべきは己ではなく主の無事と自軍の利益だ。
目に見えぬ隔たりが二人の間に鎮座していた。
それを作るのは右目でなくて忍。
忍が右目への心配を表してしまえば、右目はその心配や不安が消えるまで忍を甘やかすであろう。
そのことを忍は良く知っていた。
そして今はそのようなことに割く時間がないこともまた切ないほどに良く知っている。
だから、忍は早く右目と別れたがっているのだ。
「武田はどうするつもりだ?」
「うちは今別動隊が薩摩にいる。向こうの出方と豊臣の動き方次第だな。」
「暫くは動かねぇってことか。」
そういうこと、と答えた忍は考え込む右目を置いて部屋を出て行こうとしている。
右目は寡黙な背中を追う。
忍はこれ以上話せば折角堪えていた何かが溢れ出してしまいそうな感覚にきゅ、とその軽薄な唇を噛んだ。
庭に下りた二人は暫くその場に立ち尽くしていた。
厩はあっちだよと忍が指を指す。
ああ、と頷いた右目はしかし動かなかった。
「早くしないと独眼竜と豊臣軍がぶつかっちまうぜ?」
「そうだな。」
「次は、…いつになるだろうな。」
聡い忍はその言葉の意味を捉えて俯いた。
豊臣は強い。
お互い生きて相見えることなど出来ないかもしれない。
それをわかりながら次の約束をしたがる男の意地の悪さに呆れたように溜息をついた。
「アンタが生きてりゃ嫌でもまた会える。」
「そりゃお互い様だな。」
言い捨てた忍を右目が抱き寄せた。
瞠目した忍はされど右目の体温に怖ず怖ずと凭れかかる。
暮れかけた風が冷たく吹き抜け、互いの体温をいっそう離れ難くする。
東の空に顔を出した白い月だけが二人の束の間の逢瀬を見ていた。
「どうか御武運を。」
「次に逢うまで、死ぬんじゃねぇぞ。」
主を促すように馬が鳴いた。
End
いつも別れに怯えてしまう。