例えば、絢爛に咲き誇る桜の古木から落ちるひとひらの花弁を見たとき。
例えば、波間に跳ね上げた青魚の背が灼熱の日輪に強く煌めくのを見たとき。
例えば、山裾に広がる一面の紅葉の中で凛と青葉を繁らせる一本の樹を見つけたとき。
例えば、降りしきる淡雪の中に昂然と実るまっかな南天を見たとき。

信親は極彩色の過去を想う。
広大な中国の安寧のために人身御供となった美しく哀しい栗色の眸を持った青年を。
白と黒の盤上に強烈すぎるほどの色彩を持ってその華奢な背を伸ばす青年の姿を。





繋いだ手の穏やかな体温、焚き染めた甘やかな香の薫り。
潔癖に結われた流れる栗色の髪も、透き通る白磁のうなじも。
全て手に取るように鮮明に思い出せる。
あの日、青藍の朝靄に煙る船の上で抱きしめた青年が流した怖いほどに澄んだ涙の色も。





信親は閉じていた目を開けて陣幕を捲り上げた。
朽葉色に煙る戦場に極彩色を捜す。
重なり折れる屍の示す道の先に、彼はいた。
信親の知る高潔さで、いっそ下賎なほどの極彩色を纏って。
きりりと弓を引く指先は閃く白刃の鮮やかさをもって雑兵の玉の尾を絶った。


「相変わらず鮮やかな弓捌き、恐れ入りますよ。」


腰に帯びた左文字の長刀を無駄のない捌きで抜き、迫る雑兵を切り払った信親が言えば、彼はそれまでの張り詰めた空気の緊張を解いた。
振り返り、信親を認めて瞠目した白目の青白さに信親は薄く形の良い唇を笑みに裂く。
構えていた弓を下げた青年は戸惑いを含んだ視線を足元へ向けた。
戦場だというのに一筋の乱れもない長い髪がさらりと肩の上を滑る。


「何故、」
「戻れない。もう、戻れはしないんです。隆元殿。」

隆元が全てを問う前に信親は答えた。





「俺達は、敵対するには愛しすぎた。」





盟することが許されないならせめて、互いにそう考えての戦でしかない。
この突然の戦には何の大義名分も言い繕うほどの理由もない。
天下など、互いの領地など興味はない。
ただ、愛した者の御首級しか見えない二人のための戦。


「信親殿…私では、あなたの首は獲れない…」


諦めたように穏やかな苦笑を刻む口元は信親の愛したそれで。
乾いた音を立てて隆元の弓が細い手を滑り落ちる。
諦観に凪いだ瞳の奥、ちらちらと揺れるのは隠しきれない歓喜だろうか。
この乱世を駆け抜けるには優しすぎる栗色の睫毛が伏せる影の色は切なげな薄花桜。
信親は恐ろしく乾いた唇を舌で撫でた。


「長曾我部の未来を嘱望されたあなたと、何の力も持たないお飾りの私と。戦ったとて勝敗は目に見えておりますから。」

流れるような動きで信親の足元に跪く隆元の白いうなじが朽葉色の中、目を疑う艶やかさをもって露になる。
懇願するように信親の具足に絹鼠の指先を這わせる様は恐ろしいほどの凄艶さで信親の網膜に焼き付いた。










「せめて、その左文字で一思いに私を切り捨てて下さい。」










跪き、見上げる瞳は何かが抜け落ちたような透明度をもって信親を映す。
白い面に飛んだ血飛沫の深緋が凄艶さに色を添えた。
やはり、この白と黒の盤上で、隆元だけが極彩色だと信親は喉を鳴らす。
引き摺り立たせ、見慣れなぬ鶸色の陣羽織に隠れた細い肩を抱きしめたい。
その衝動を左文字の長刀を翳す右手に握り潰した。





もう、戻れない。
愛しすぎた。
喜びも悲しみも苦しみも傷や嘘の数まで共有した二人には。
引き返す道など、別々に歩む道など用意されてはいなかった。



抱きしめるものを失った左手に隆元の首を、右手に艶かしく輝く左文字を引き摺って本陣へ戻った信親の涙を、誰もが痛ましく見守る。
翻る陣羽織の紅紫だけが虚しく目を刺した。



End

共に歩む道がないなら俺の手で絶とう。

※ 栗色(くりいろ) / 青藍せいらん / 朽葉色くちばいろ / 薄花桜うすはなざくら / 深緋こきひ / 絹鼠きぬねず / 鶸色ひわいろ / 紅紫べにむらさき

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