- 良く晴れた秋晴れの高い空に、薄雲が日光に漂白された白を刷く、空気のつめたい朝。
よく手入れされた広い庭先に、バタバタとはしたなく走り回る足音が響いていた。
庭の土をつついていた丸々とした都会の雀が驚いて、庭に植えられた楓の枝に飛び移る。
そんなことには目もくれず、隆元は檻の中をせわしなく動き回る小動物のように、よく磨かれた縁側を歩き回っていた。
時折、思い出したように部屋に置かれた姿見に己の姿を映しては、長い結い髪のほつれや、折れてしまったシャツの衿を直したりしている。
「隆元兄様。信親さんがお見えになられましたよ。」
「え、あ、はい!もうそんな時間ですか!」
「門の前でお待ちいただいていますので、早…」
突然背中に掛けられた声に、飛び上がらんばかりに驚いて見せた隆元は、声の主である隆景を大仰な仕種で振り返った。
早く出るようにと伝えかけた隆景を遮るように声を上げた隆元は心配そうに、そして相変わらず落ち着きなく言った。
「えぇと、いいですか、隆景。戸締まりと火の元にはくれぐれも用心してくださいね。知らない人が来ても、むやみに出て行ってはいけませんよ。それと、私は夕食も済ませてきますから、夕飯は必要ありません。父上は夕方までにお戻りになられるそうですし、元春も同じ頃には戻るはずですから、それまでくれぐれも用心してくださいね。あと、今日は父上のご友人の方から荷物が届くそうですから、」
「受け取って冷蔵庫に仕舞っておけばいいんですよね?はんこは玄関の下駄箱の上にあるのを使いますから、兄様は何のご心配もなさらずにお出かけください。」
にっこりと笑って隆元の言おうとしていたことを言ってのけた隆景は早く行けと言わんばかりに、隆元の華奢な背を押して玄関へ向かって歩きはじめる。
「荷物も戸締まりも火の元も夕飯のことも何度も伺いました。僕だってもう兄様の思っていらっしゃるような小さな子供ではありませんから、一人で留守番くらい出来ます!」
「ですが…、」
「昨日の夜からあんなに大騒ぎしておいて、今になって僕を理由に出掛けないなんて許しませんからね。」
困ったように振り返る隆元に、黙れとばかりに満面の笑みを浮かべて見せた隆景は、玄関脇に掛けてあったベージュのトレンチコートを隆元の肩に掛けた。
されるがままにコートを羽織った隆元は内側に入り込んでしまった髪を直す間もなく鞄を押し付けられて玄関の扉の外に追い出されてしまった。
「では、兄様。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
相変わらず笑顔をその幼い造りの顔に貼付けた隆景は、おざなりに会釈をし、玄関の引き戸をぴしゃりと閉め、隆元の言い付け通りにがちゃりと大きな音を立てて鍵を掛けた。
鞄を胸に抱きしめた恰好のまま玄関先に放り出された隆元は、呆気にとられたようにぱちくりとその切れ長な目を瞬かせ、思い出したように髪を直してから門の方へと小走りに走り出した。
頑丈そうに見える古めかしい木の門は、存外簡単に開かれる。
その門の前にとまったシルバーのセダンの助手席のドアに凭れて足元を眺めていた信親は、門から出てきた隆元の姿を認めて破顔した。
眩しい空の色が映えるその表情を認めた隆元は、ちいさなちいさな声で、おはようございます、とだけ告げた。
「すみません、少し遅くなってしまって。」
「いえ、あの…私も遅くなってしまいましたから、」
先までの饒舌が嘘のように、歯切れ悪く俯きがちに言葉を紡ぐ隆元を、信親の海の色を映した澄んだ瞳が愛しげに眺める。
やんわりと薄紅を刷いた隆元の頬に、浮かれそうになる心を甘く叱咤し、信親は凭れていた助手席のドアを開けた。
「少し遠いですから行きましょうか。」
隆元が乗り込んだのを確認してドアを閉めた信親は、自分も運転席に乗り込み、エンジンをかける。
道、混んでなければいいですね。
と、話す信親の声の後ろで耳馴染みの良い女性ボーカルが歌いはじめる。
ゆっくりと動きはじめた景色をフロントガラス越しに上目で見つめていた隆元は、そうですねと頷くことしか出来ない。
信親と恋人という関係になってから、もう数ヶ月の時が流れているが、隆元は未だこの関係や信親の優しさに慣れることが出来ない。
信親の声の一つ、自分に触れる指先の動き一つが愛おしさを伝えて来るのがどこかむず痒く、照れ臭い。
面白いことも言えず、かといって慣れた様で笑うことさえ出来ない自分のどこがいいのだろうかと思い悩むこともあるが、その度に信親は『隆元さんが隆元さんだからいいんです』と笑うだけであった。
続かぬ会話をぽつりぽつりと繰り返す以外はカーステレオから流れる音だけが車内を支配する。
しかしその沈黙すら苦にならない二人の関係は、確たる愛情が育っていることの証明のようであった。
隆元がちらりと右側を伺えば、常にはあまり見ることのない真剣な顔で運転をする信親の横顔。
普段、隆元に向けられる柔らかな笑顔や暖かな視線とは質の違う、集中した無表情に隆元の鼓動が甘く乱れる。
それを落ち着けようと大きく息を吸い込んでみるものの、肺を満たすのは信親の微かな香水の匂いばかりで、どうしようもなくなった隆元は左側についと視線を移し、追い越して行く車と、目まぐるしく過ぎ去る景色ばかりを眺めていた。
「隆元さん、右側。紅葉が綺麗ですよ」
「え、あ!すごい!」
きれい、とはしゃぐ隆元を横目で見ていた信親がふと息だけで笑う。
「ね、隆元さん。」
「はい?」
写真を、と携帯を鞄から出していた隆元は不意に声を掛けられて顔を上げる。
やはり前を向いたままの信親の横顔は僅かに笑みを刻む。
「いえ、…笑ってる隆元さんのが綺麗だなと思って。」
唐突な告白にぽかんと口を開けて信親の横顔を見つめた隆元であったが、その言葉の意味を理解するにつれ、かあっと頬が熱くなる。
え、あ、と言葉を探す隆元の百面相を横目で見ていた信親は声を立てて笑う。
からかわないでください、とまた左側を向いてしまった隆元の長い結い髪を信親の指先が宥めるようにさらりと撫でた。
都合うなじを滑る指先に隆元の薄い肩が小さく跳ねた。
「だって、隆元さん、ずーっと外見てるから寂しくて、つい。」
未だ笑いの治まり切らない声で信親が言えば、隆元は外を眺めていた栗色の瞳を信親に向けた。
幼さを残しながらも、凛とした横顔を暫く眺めてから、ふいと視線をフロントガラスの向こうへ投げた。
「信親さんの、横顔がかっこいいのが、いけないんです。」
拗ねたように零された言葉に、次は信親が百面相をする番であった。
End
私の知らない貴方は、やっぱり私の知る貴方でした。