城を出た小十郎は馬を歩かせ、その馬上から田畑を見下ろしている。水を抜いた田はそろそろ黄金色に色付き、収穫の時期を迎えるだろう。山菜採りに出ていたらしい母娘ともすれ違った。
戦に疲弊しているとはいえ、どの国にも季節は平等に巡る。この米の収穫が終わる頃には奥州には厳しい冬が訪れる。
その冬を越えるのは毎年のことながら骨が折れる。吹雪で道が閉ざされ、厳しい寒さに凍えるものが数多く出るだろう。暖かくなったと思えば雪崩で家を失うものもいる。
厳しい冬に備えなくてはならないこの時期に、どうしてこんなことになっているのだろうかと痛むこめかみを押さえた。
奥州の民は厳しい冬の、人知を越えた自然の力というものを嫌というほどに理解しているというのに、国の上に立つものが内輪で揉めているなど言語道断である。農民も侍も関係なく一丸とならねばならないこの時期に。
政宗に言い損ねた小言が今になってふつふつと腹の中で煮え始める。
成実も成実である。もう少し大人になってもらわなくては毎回政宗との間を取り持つ小十郎や綱元の身が保たない。
小十郎や綱元からしてみれば、政宗も成実も十分子供だが、政宗はまだ一国の主としての振る舞いをきちんと身に付けている方だと思う。
(それを自分の教育の賜物だと思う気持ちも少なからずある。)
成実は政宗よりも更に年若い。それにしても輪をかけて子供っぽいと思ってしまうのは致し方ないというものかもしれないが、同じ年頃の基準が政宗になってしまっている小十郎がそれに気付くはずもない。
綱元の方がまだ幾らかそのことに関しての許容があるだろう。
(小十郎はもとより子供という生き物が苦手であるが、綱元はそうではない。)
政宗に諌める言葉をかけておきながら、やはり成実にも少し説教をしなくては気が済まなくなってきた頃、小十郎は成実の仮住まいである屋敷の前に辿り着いていた。
成実とて政宗から領地を拝領する一城の主なのだ。あのように子供っぽい言動ばかりが目立っては困る。
綱元に言われた言葉がちらりと脳裏を掠めたが、それはそれ、これはこれと割り切った小十郎はその門を叩いた。
門を開けたのはなじみの使用人だった。
成実が城で過ごす間、この屋敷を守る老人も、かつては成実の父の元で名を馳せた武人である。小十郎や綱元も幼いころからよく知っている。

「これは片倉様。いかがなさいました?」
「成実さんはご在宅か?」
「若なら上様のところへ行かれたままお戻りになっておりませんが…何かありましたか?」
「いつもの兄弟喧嘩です。」
「また若はやんちゃなされたか。片倉様のお手を煩わせて…若がお戻りになられたらこの爺からもお灸を据えておきますので何卒。」

好々爺という形容が当てはまる風貌の老人は、老人らしくない伸びた背を折り、小十郎に頭を下げた。
成実とは似ても似つかないその潔さに、小十郎の方が圧倒される。
頭を上げてくれと小十郎が慌てて声をかける。

「若もここ暫くで色々とおありでしたから、跳ねっ返りに拍車が掛かっております。片倉様もさぞや頭の痛い思いをなされておいででしょう。」
「それは政宗様とて同じだ。今に始まったことでもない。…それにしても」
「はい。」
「成実さんが城を出てから随分と経っているはずだが、まだ戻らないというのもおかしな話だな。」
「若の放浪癖は今に始まったことではありませんよ。片倉様がご心配召されるようなことではありません。」
「しかし…」

いつもとはあからさまに態度の違った成実を思い返して、小十郎は顔を顰めた。
老人の言うように何処かへふらりと出ただけならばいいが、出奔の計画でも立てていては洒落にならない。綱元からの報告もある。可能性がゼロになるわけではない。

「いつまでも子供だと思っておりました若も、伊達の一番駆けを務める立派な武人でございますから、何かあっても身を守ることもできましょう。なにより、こういう時はそっとしておくのが何よりです。腹が減ったら帰っても来ましょう。」

小十郎の心を読んだように老人はからからと嗄れた声で笑った。
一介の武人として認めながらも、どこかまだ子供扱いの抜けない言葉に、小十郎はそうか、とだけ答えた。
行き場所に心当たりはあるか?と問うと、それを知る人物はもうおりませんな、と寂しそうに笑った。それが誰を示すのかがわからないほど小十郎は間抜けではない。少し探してみる、と言って小十郎は再び葦毛の腹を蹴った。
もうすっかり秋の色をした空は暮れ始めている。見つけるなら急がなくてはと思うが、綱元の心配した顔を思い出して葦毛の首を返した。
探すなら人手は多い方がいい。それに、何かと成実を気にかけてきた綱元は、小十郎よりも成実の行きそうな場所も知っているかもしれない。
地面からの熱が小十郎の小袖を汗に濡らした。





一方、政宗の居城を辞した綱元は、住まいである屋敷の自室で算盤の珠を弾いてため息をついた。
成実のことが気になって仕事どころではない。
茶を持ってきた使用人に、小十郎が来なかったかを聞き、いいえと言われて、ため息をつく。こんなことならば始めから小十郎に任せずに自分が行けばよかったと、心から後悔していた。
政宗一辺倒になりがちな小十郎が、例え成実の言葉が正しいと思っていたとしても、あの態度で出迎えられてしまえば怒り狂うだろうと思ったからだ。
開け放してある障子の向こうに見える空がもう随分と藍色に染まっている。
今からでも成実がいるはずの屋敷に向かおうかと考えて立ち上がっては、やはりここは小十郎に、と座り直す。
話がこじれていなければいいが。
そう呟いて、障子の向こうを眺めた。
あまりにもいつもの成実とかけ離れすぎていた。成実の不満が爆発して、小十郎との仲まで不和となってしまってはさすがの綱元も手の施しようがない。
彼は伊達の為に失いすぎていると思ったことは何度もある。だからこそ綱元は本家に仕えながらも成実の背を守り続けているのだ。
成実がせめて戦場では自由に動けるようにと。そのために苦手だった剣の腕を磨き、成実についていけるだけの技量を得た。
成実の背を守る事が、引いては政宗の、奥州のためになるというのは最早言い訳になりつつある。最上を叩きにいくと言った時も、本当は自分が一緒に行きたかった。傷だらけで戻った成実を見て、どれほど後悔したかわからない。
失うことに慣れる人間などいるはずはない。失ってしまうことを「仕方のないことだ」と割り切るには成実はまだ幼すぎる。
元から生き延びることよりも強くあることにしか執着のない成実は、戦となると生傷が絶えない。肉を切らせて骨を守ることの方が圧倒的に多いからだ。
大切にしていたものを失った直後の成実が、自棄を起こして無茶な戦い方をしたことくらい綱元にはお見通しだった。
それにしても、今回ばかりは色々と重なりすぎている。そのせいで冷静さを欠いている成実が大それた行動に出なければいいが、と何度目になるかわからない溜め息を吐き出した綱元は墨の乾き始めた筆を取り上げた。

「片倉様がお見えでございます。」

それから四半刻も立たないうちに掛けられた使用人の声に、綱元は自ら玄関へと小十郎を迎えに立った。
板張りの廊下を進む足が知らず早くなる。小十郎がここを訪れるには少し早すぎるような気がして、胸がざわつく。
小十郎は、玄関の土間に立ったままで綱元を待っていた。

「随分早かったですね。」
「いや、成実さんには会ってねぇ。」
「どういうことです?」

問うた綱元に、小十郎は成実が屋敷に戻っていない旨を伝えた。綱元の頭が一瞬白く染まる。
小十郎との仲がこじれるという最悪の事態は免れたとしても、成実が激情に任せておかしなことをやらかさないとは限らない。頬を張った時に足下をふらつかせた成実の何かを押し込めたような眸が脳裏にまざまざと蘇る。
まず自分が成実を見つけなければいけない。罪悪感に起因する使命感が綱元の胸を締めた。

「探しに、行きます。俺が、成実さんの気持ちも理解していながら引っ叩いてしまったから、」
「それだけじゃねぇだろうが…テメェも探してくれると助かるんだが。」
「支度してすぐに出ます。小十郎は街の方を。」
「わかった。思い当たる場所はねぇのか?」
「呉服屋の近くの小間物屋を気に入っているくらいしかわかりませんね。」
「とりあえず当たってくる。一通り探したら成実さんの屋敷の前だ。」
「えぇ、後で。」

戸をくぐる小十郎を見送った綱元は、出掛ける旨を使用人に伝えて身支度を整えると愛馬である栃栗毛の腹を蹴った。思い当たる場所がないわけではないが、今、成実が見つけてほしい相手はどう考えても自分ではない。
思い当たるところにいるとは思えなかったがひたすらに馬を走らせる。沈んだ太陽の残光がぼんやりとあたりを照らすだけの砂利道は、風を切る音以外何もかもが消えてしまったように静寂に張りつめている。
政宗と成実を連れて出たことのある野原にも、幼い頃にせがまれて連れ出した川岸にも、成実らしい人影はない。川で馬に水を飲ませながら綱元は短い髪をくしゃりと掻き上げた。
空はもうすっかり夜の帳が落ちている。どうしたものかと考えあぐねる綱元の背後に何かの気配が近づいた。
左の腰に帯びてきた長刀の鯉口を切った。近づく足音は四足のそれだ。この辺りは野犬やイノシシの被害もいくつか報告が上がってきている。そのどれかかもしれない。
綱元は振り返りざまに抜刀した。

「綱元…?」
「成実さん、ですか?」

切っ先の向こうには綱元が来た方向とは逆から川沿いに馬を歩かせる成実の姿があった。馬上から綱元を見下ろす眼が驚きに見開かれている。黒鹿毛の馬体が闇に滲んだ。
相手が成実だと理解した綱元は静かに刀を鞘に戻して成実に近づいた。

「何してんだよ、こんなとこで。」
「成実さんこそ、屋敷にも戻らずにこんなところで何してるんですか。」
「…別に。散歩だよ。」
「小十郎や俺に心配かけて、あなたは暢気に散歩ですか。」

うるせーな、と呟く成実の表情が何とも言えない形に歪んでいく。泣き出しそうでもあり、安堵したようにも見えるその表情に、綱元は呆れたように息を吐き出した。
それでもいつもの調子に戻った成実の様子に安堵する気持ちが大きい。切れ長の眸を柔らかく細めた。

「小十郎も探しまわってますから、とりあえず屋敷に戻りましょう。」

言いながら綱元は栃栗毛の鐙に足を掛け、鞍に乗り上げて成実の横に並んだ。
ただでさえ暗さのせいで伺いにくい成実の表情が、顔の高さが逆転したことでさらに見えなくなった。

「…戻ったらどうせ小十郎からの説教だろ。もうちょっとぶらぶらしてから帰る。」
「俺たちがわざわざ説教のためだけにあなたを探しまわってたと思ってるんですか?」

答えない成実が握り締めている黒鹿毛の手綱を、横から器用に操って歩かせる。成実は反抗しなかった。早駆けで成実が綱元に勝てたことはない。
馬の動きに会わせて上下する鞍上で、集落の明かりが遠くで瞬いているのを暫く眺めた綱元は成実の横顔に声を掛けた。

「さっきは引っ叩いてすみませんでした。罰は何なりと受けます。」
「今までにも引っ叩いといて…今更罰もクソもねぇだろ…」
「今までのは成実さんの悪戯への罰なので、俺が罰を受ける謂れはありません。」
「じゃあ、…今日のは何なんだよ。」

成実が恨めしげに横目で綱元を睨みつけた。成実が見つかったことで随分と平静を取り戻した綱元は、真っすぐ前を見たままそれに答えた。

「あなたが出奔でも企むんじゃないかと思ったら、怖くなったんですよ。」
「はぁ?」
「あなたが伊達からいなくなってしまうかもしれないと思ったら、冷静じゃいられなくなってたんですよ。だから、今回の件については甘んじて罰せられることにします。」
「なにもそこまで言ってねぇだろうが…。でも、政宗が…どうしても豊臣を攻めるって言うんなら、それでもいいかなって…思った。」
「政宗様はそこまで愚かではないでしょう。」
「わかってる…でも、もう…失いたくは、ねぇから。大事なもの、全部もって逃げてもいいかって、少しだけ思ったんだよ。」
「で、俺や小十郎に大切なもの失わせるつもりだったんですか?」
「お前らは、政宗がいればとりあえずいいだろ?」

政宗の家臣なんだし、と呟いた成実の視線がふわりと宙を泳ぐ。
それを認めた綱元は、もう間違えないと心に決めて言葉を返した。

「今まで散々俺を使ってきて、今更知らん顔なんて俺は許しませんよ。だいたい、あなたの背中を守ってきたのは、死んだ彼だけじゃありません。俺だっていつも成実さんの背中、見てるんですよ。」

あなたは前ばかり見ていて気付かないかもしれませんけどね、と言葉を続けた綱元を振り返った成実の眸が揺れている。

「小十郎だって困るでしょうし、政宗様も寂しがられるでしょうね。それに、一番駆けの成実さんがいなくなったんじゃあ士気も下がるでしょうし。」
「そんなの…」
「あなたは必要なんですよ。奥州にも、伊達にも。」

そう言って仰いだ空には綺麗な弓張り月が輝いている。明日もきっと暑くなるのだろう。馬の蹄が地を踏む音が心地いい。
民家から流れる夕餉の薫りが微かに二人の鼻に届いた。


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