- ※『十二月の死別』から続きます。
戦の開始とともに前線へ飛び出した佐助は小十郎を探していた。
一番始めに、政宗を討ち取らんとする幸村の前に立ちはだかるのは小十郎だと思ったからだ。
しかし、その予想は大きく外れた。
もうすぐで敵の陣営というところで、佐助は主の二槍が煌めくのを見た。
その切っ先には三日月の前立て。敵将である伊達政宗その人だった。
刃を交え始めてから結構な時間が経っているのだろう、遠目からでもふたりの消耗が見て取れた。
佐助は幸村と政宗が対峙するすぐ後ろに立っていた。止めなくては、そう思うが目の前の二人の殺気に躯が動かない。
うぉぉぉおおおお!と雄叫びを上げて最後になるであろう一撃が放たれる。
それを佐助はやるせない気持ちで見ていた。
止めなくては、主である幸村を守らなくては、そう思う忍としての自分と政宗に殺されるならそれが幸村の本望かもしれない、そう思うただのただの男としての自分が攻めぎ合い、殺気に固まった脚をさらに重い物にしていた。
まるでスローモーションのように目の前でゆっくりと二人の躯が重なる。
佐助が居た位置からは政宗の六爪が幸村の脇腹を貫くのがはっきりと見えた。
ずるりと幸村の手から深紅の槍が離れる。
それは政宗の左肩を貫いたまま地面に落ちることはなかった。
信玄から賜ったその二本の槍を大事そうに手入れする幸村の顔がふと浮かんで消えた。
「だんな、」
駆け寄ろうとするけれど根っこでも生えてしまったように足はびくりとも動かない。
ゆっくりと、糸が切れたようにその場に膝を付いた幸村の口元が心なしか笑っているような気がした。
「旦那ぁぁあああああぁぁあああ!!!」
思わず叫んだ声は、きっと主には届いていない。
いや、もうこの際竜の旦那の声さえ届いていればいいのかもしれないけれど、そう思ったが佐助は声を抑えることができなかった。
どさりとその場に倒れた幸村に己の左肩から槍を抜き去った政宗が駆け寄るのを佐助はぼんやりと眺めていた。
政宗は悲痛な表情を浮かべ、幸村に何事か叫んでいる。
耳の奥がキーンとして、佐助には何も聞こえなかった。
じわ、と視界が滲んでいく。
弁丸と呼ばれていたときの笑顔、団子をほおばる幸せそうな笑顔、縁側で丸くなって昼寝する寝顔、つまらなさそうに書簡に目を通す横顔、政宗のことを話すときに見せたはにかんだ笑顔、…この間、野原で見た泣き顔。
次々と幸村との思い出が蘇っては消えていく。
目眩が酷くて、その場に片膝を付く。
「旦那、」と小さく呟いて佐助は零れそうになる涙を飲み込む。
ギリ、と血が出る程に唇を噛み締めた佐助は、地面に落ちていた政宗の刀を一本拾って走り出した。
うぉぉぉおおおぉぉ!!と叫んで走り出した佐助は声の限りに叫ぶ。
「伊達政宗ぇ!!幸村様の仇ぃ…覚悟っ…ッ!!」
刀を逆手に持ち、短剣を振り下ろすように振りかぶると政宗の背中にそれを突き立てた。
どす、と鈍い音がして、急に抵抗がなくなる。
佐助の手にした刀が政宗の胸部を貫いたのだった。
それを理解したとたんに佐助の膝から力が抜ける。
政宗の横に膝をついてしゃがみ込んだ。
「さ、る……ありが、と…な…」
消えそうな声で囁かれて、佐助は反射的にそちらを見る。
そこには満足そうに弧を描く隻眼があった。
がくりと政宗の状態が傾いで幸村の上に倒れ込んだ。
遠くで政宗を呼ぶ小十郎の声がしたような気がして、佐助は虚ろな瞳のまま立ち上がった。
さっきまで周りで戦っていた兵士たちはそのほとんどが地面へと突っ伏している。
怪我なんてしていないのに全身が痛む。
(本当は躯なんてこれっぽっちも痛くない。痛むのは心。軋むこの心が可笑しくなってしまいそうな程に痛い。)
幸村はしんだ。
仕えるべき主をなくした忍はいったいどうしたらいいのだろう、そんなことをぼんやりと考えて、一歩も進んでいないのにその場にへたり込む。
主を亡くし、その仇である政宗も殺した。
もう佐助が戦う理由はどこにもなかった。
同時に生きる理由までも失ってしまったような喪失感が佐助を襲う。
これから先の生きる理由となり得た人物とはもうあわせる顔もない。
(俺は、あの人の生きる理由までも手にかけてしまった。)
(小十郎さんは、俺を殺してくれるだろうか?)
ざっと砂を踏む音がすぐ近くでした。次いで、目の前の光景に絶句する気配がした。
それは間違いようのない小十郎の物で、佐助は顔を上げることもできずただ項垂れ続けた。
「政宗、…様」
ふら、と小十郎の足が佐助の横を通り過ぎて既に事切れた主に跪く。
「いつまでも、…そのお背中をお守りすると誓ったのに…」
悔しげに拳を握る小十郎の後ろで、佐助はゆらりと立ち上がった。
佐助も拳を握り締め、今にも崩れてしまいそうな膝に力を入れる。
できるだけ、普段通りに見えるように努めて作った笑顔は酷く歪んでそれが笑顔なのかすらわからない。
「悪かったね、片倉さん。あんたの大事な竜は、俺様が地面に引き摺りおろしちゃった」
「猿飛…テメェ…」
(俺は何をしているんだろう。こんな、小十郎さんを傷つけるようなまねして。)
小十郎の纏う空気が一気に緊張してびりびりとした殺気が佐助を襲う。
でも佐助にはもうそんなことはどうでも良かった。
気を抜けば下がりそうになる柳眉を持ち上げて、その顔に作り慣れた笑顔を貼り付ける。
「俺様の大事な主、殺されたんでね。ついかっとなっちゃって。」
「覚悟はできてんだろうな?」
「うん。殺してよ、今すぐ此処で。」
『もう、後戻りなんてできないでしょ?』そう言って空を見上げて佐助は笑った。
その表情に一瞬にして小十郎の殺気が削がれた。小さく瞠目した小十郎は眉間の皺を深くして佐助を見つめた。
空を見上げた佐助の顎からばたばたと涙が零れ落ちて地面にシミを作っていく。それとともに剥がれて行く作られた表情に、小十郎は胸を締め付けられる。
『俺の前では何も隠すな』そう言って独占欲丸出しで抱きしめた夜のことを思い出す。あの日も張り付いた偽の笑顔が涙と共に剥がれて行った。
「ねえ、小十郎さん。もう終わりにしようよ。」
「佐、助…」
「竜の旦那を殺した俺様が憎くて殺してくれて構わないから…もう一回愛してほしいなんて言わないから……せめて、」
「こじゅうろうさんのてでおわらせてよ」
佐助は跪いた格好のままの小十郎を振り返って言った。
深い哀しみに翠の瞳が緩く細められ、自嘲的な笑顔がその顔に戻る。
もういい、と抱きしめてやりたくなる衝動を握った拳に力をいれてやり過ごす。
大切な主を失い、忍であることを放棄することをやっと赦された佐助からの最後の願いだった。
主を失った忍と、本体をなくした右目。
見詰め合う二人の間を血腥い乾いた風が吹き抜ける。
お願いだから、と呻くように言った佐助はその場に座り込んだ。
小十郎は腰の愛刀に手をかけ、それを鞘から引き抜いた。
「小十郎さん、愛してる。…ありがとう。」
それを見た佐助は安心したように穏やかに笑って目を閉じた。
切腹の介錯でもするように小十郎は佐助の横に立ち、一思いに刀を振り下ろした。
ごり、と骨を断つ感触がして、小十郎の頬を涙が伝う。
どさりと佐助の躯が倒れた。
まだ暖かいその懐をあさって、いつも佐助が持っているはずの短刀を探し、少し借りるぞ、と聞こえるはずなどない佐助に声をかける。
見つけ出したそれを手に、小十郎は政宗と佐助の間に座り、陣羽織を脱いだ。
「お守りできずに申し訳ありませんでした。政宗様。」
視線の先に倒れた政宗をとらえて小十郎は言った。
ぐ、と佐助の短刀を自分の腹に突き立てた。
痛みに冷や汗が流れ落ちる。
びしゃびしゃと自分の下肢を濡らしていく血液の暖かさに小十郎は吐き気を覚えた。
痛みに耐えきれず、その躯をその場に横たえ、視界に飛んだ佐助の首を入れて小十郎は力なく笑った。
(今逝くから、ちょっとだけ待ってろ)
心の中で呟いて、小十郎は目を閉じて己の舌に短刀を突き立てた。
End
やっちまったなぁ。